東平安名崎とは? わかりやすく解説

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東平安名崎

名称: 東平安名崎
ふりがな ひがしへんなざき
種別 名勝
種別2:
都道府県 沖縄県
市区町村 宮古島市城辺
管理団体
指定年月日 2007.02.06(平成19.02.06)
指定基準 名8
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 宮古島東端細長く突き出た東平安名崎は、琉球石灰岩カルスト地形固有の海岸植物群落展開する独特の自然環境とともに悲恋故に海波身を投じた女性伝承まつわる美し景勝地として知られる
岬は延長約2kmに及び、その幅は基部から中央部にかけて約120~180mとほぼ一定しているが、中央部から先端部にかけては200~250mと広がり見せる。周囲琉球石灰岩切り立った海食崖囲まれ標高約20mの平坦な上面全体として海側に向かって迫り出し海食崖随所凹地形が形成されている。岬周辺海域珊瑚礁覆われ、特に岬の北東海岸には幅約380mの発達した珊瑚礁見られ、さらにその東方海域には幅約120m水路状の海域挟んで東西約2km、南北1kmにわたり、楕円状の珊瑚礁形成されている。海岸近く発達した珊瑚礁の上面には、岬の急崖から崩落したものと見られる琉球石灰岩岩塊散在する。特に岬の先端部の周辺には、「津波石」と名付けられ最大径が6~8mにも及ぶ琉球石灰岩岩塊存在するほか、東方海域離礁上にも「パナリ」と呼ぶ巨大な岩塊点在する
通年強風により高木は育たず、テンノウメ・ミズガンピ・イソマツなどの木本群落をはじめ、グンバイヒルガオ・ハマウド・ミヤコジマソウ・ハマボッス・コウライシバなどの草本の群落など、亜熱帯地方の風衝地に特有の植物群落見られるとりわけテンノウメ群落北東海岸の急崖部上面縁辺を這うように生育しその分面積は他に類例見ないほど大規模である。また、テンジクナスビ・ミヤコジマソウ・ミヤコジマツルマメなどの草本類は、生育地北限を示すものとして貴重である。
東平安名崎に関連して悲恋故に岬の崖から海波身を投げたという女性の話が語り伝えられている。岬の北西約6kmに位置する野城按司は、妻子を持つ身でありながら平安名(ピャウナ)に住み機を織る美しい娘マムヤと恋に落ちた。しかし、叶わぬ恋に身を儚んだマムヤは岬の岩陰身を隠して機を織り続け探し求める按司振り切って、ついに崖から海波身を投げたという。現在でも宮古島にはマムヤを謳った古謡民謡伝えられているほか、岬の北東岸の崖地にはマムヤが身を潜めて機を織り続けたとされる小洞穴や彼女の墓地伝えられる岩陰墓などが残されている。
上のように、東平安名崎は、琉球石灰岩から成る海食崖囲まれ固有の風衝植物群落展開する独特の自然環境持ち、その優れた風致景観宮古島按司美しい娘との恋にまつわる悲しい伝承生んだ宮古島風土的特色代表する景勝地として、東平安名崎が持つ観賞上又は学術上の価値高く、よって名勝指定し保護図ろうとするものである
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名勝:  木曽川堤  本法寺庭園  東尋坊  東平安名崎  東氏館跡庭園  東海庵書院庭園  松濤園

東平安名岬

(東平安名崎 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/11 08:46 UTC 版)

東平安名岬
東平安名岬とパナリ岩礁(2019年撮影)国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
東平安名岬

東平安名岬(ひがしへんなざき)は、沖縄県宮古島市城辺字保良に位置し、太平洋及び東シナ海に面するである。宮古島の南東端で、同島を代表する観光地のひとつとなっている。東平安名とも書く。

概要

宮古島の南東端から南東方向に突き出た、長さ約2km、幅最大250m、標高約20mの細長い岬である[1]琉球石灰岩カルスト地形であり、岬の上面は平坦であるが、随所に洞穴やウバーレといった凹地形がみられ、周囲は海食崖に囲まれている。基部から中央部にかけての幅は約120-180mとほぼ一定であるが、中央部から先端部にかけては200-250mに広がっている[1][2]

周辺の海域にはサンゴ礁が発達しており、岬の東方約1kmにはパナリ岩礁や離干瀬等と呼ばれる東西約2km、南北約1kmにわたる楕円状の離礁が形成されている。岬の先端付近の海岸には最大径6-8mの巨岩が散在するほか、パナリ岩礁にも岩塊が点在する[1][3]。これらの巨岩は1771年明和8年)の八重山地震津波(明和の大津波)やそれ以前の地震の津波で運ばれてきた津波石であると考えられている[4][5]

岬の上には強風が吹き寄せるため高木は育たず、テンノウメやイソマツを中心とした風衝地特有の植物群落が形成されており、1980年(昭和55年)に「東平安名崎の隆起珊瑚礁海岸風衝植物群落」として沖縄県の天然記念物に指定されている[6]。1979年の調査によれば、東平安名岬には65科222種の高等植物が生育している[7]。また、4月から5月にかけてはテッポウユリが岬一帯で咲き乱れ、観光名物となっている[8]

岬の先端に平安名埼灯台海抜43メートル、光達18海里1967年(昭和42年)初点灯)が設置されている。この灯台は参観灯台で、内部を見学し、上に登ることができる。灯台の上からは周囲320度が海なので水平線が丸く見え、眺望が良いため初日の出の名所にもなっている[9]

2007年(平成19年)2月6日に「東平安名崎」として国の名勝に指定された[1]2011年(平成23年)にはパナリ岩礁を含む周辺海域が名勝に追加指定され[10][11]2014年(平成26年)には灯台の敷地が追加指定された[12][13]。一帯は東平安名崎公園として整備されており、日本の都市公園100選に選定されている[14][15]。なお、ガイドブックなどでは日本百景のひとつとして紹介されていることもあるが、実際には日本百景には選定されていない[16]

岬の北東側に保良漁港がある。

名称

かつてこの岬と宮古島の北西端にある西平安名岬とは、いずれも「ぴゃうなざき」と呼ばれていた。細長く延びる形が「パウ」(蛇)に似ていることがその由来であるとする説がある。1644年の『正保国絵図』や1647年の『宮古八重山両島絵図帳』には、東平安名崎が「百名崎」、西平安名崎が「ひゃんな崎」と記されている[17]

その後、2つの岬は東西を冠して区別されるようになった。その時期は不詳であるが、1894年(明治27年)に発行された『日本水路誌』第2巻ではこの岬が「平安名埼」と記され「ヒヤンナ」の読みが付されている[18]一方、1911年(明治44年)4月10日付の琉球新報の記事には「東平安名岬」という記載がみられ、1923年(大正12年)発行の「宮古郡島地図」では2つの岬がそれぞれ「東平安名崎」及び「西平安名崎」とされている[17]

東のことを宮古語(宮古方言)や沖縄語(沖縄方言)では「あがり」(太陽が上がる方角であることから)等というので、「東平安名崎」は地元では「あがりぴゃうなざき」と呼ばれている[19]。また、沖縄方言では「あがりへんなざき」となる。

伝承

マムヤの墓

マムヤの墓

マムヤは岬の付け根にあった保良村(保良元島)に住んでいた娘で、ニフニリという香草の芳香を放つ絶世の美女であったと伝えられている。ある時、魚を取りに来た野城按司に見初められ恋仲になるが、妻子持ちであった野城按司は結局、妻を選び、マムヤは裏切られてしまう。マムヤはこの岬の断崖の中腹にある岩穴にこもって機織りに励み、上布を織り上げると、断崖から身を投じて命を絶ったという[1][3][20][21]

灯台の近くにはマムヤの墓(岩陰墓)と伝えられる巨岩があり、機を織ったと伝えられる岩穴や屋敷跡とともに、宮古島市の史跡に指定されている[20]。1911年(明治44年)4月10日付の琉球新報には、「此岬の東端に高さ三丈、巾四丈許の巨石北向にして横はれり。これ百年前傾国の美人とて有名なりしマモヤの墓なりという。目下棺と遺骨とは残れり」との記事があり、この記事によれば、当時、マムヤの墓には棺と遺骨が残っていたことになる[17]

パナリ御嶽

岬の東方のパナリ岩礁にはパナリ御嶽という御嶽があったと伝えられている。1705年の『御嶽由来記』には、「離君あるず」という女神を祭神とし、船守の神として崇敬されていた旨が記されている[22]

この岩礁はもとは東平安名岬と地続きで、パナリ村という村があったという伝承がある。昔、ティダガナス(太陽神)が降りてきてその村の娘と親しくなり、子供が生まれた。しかし、ある時、ティダガナスは、子守が子供をあやす子守唄を聞いて怒ってしまい、パナリ村を踏みつけると、パナリ村は折れて南へ流れて来間島になったという[3]

入場協力金

2021年(令和3年)12月から、地元の保良自治会が、利用者から300円以上の入場協力金を募っている。

支払いは任意であるが、プレハブ小屋を設置し、職員を常駐させて協力を呼びかけたため、「半強制的」、「威圧感を感じる」等の批判が集まり、宮古島市にも苦情が寄せられた。宮古島市は2年目の許可にあたって、人を立たせないことを条件としており、2022年(令和4年)12月時点では、無人で募金箱が置かれるだけになっている[23][24][25]

交通

参考文献

  • 城辺町教育委員会 『東平安名崎の植物』、2004年

脚注

  1. ^ a b c d e 東平安名岬 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  2. ^ 【国指定:名勝】東平安名岬”. 宮古島アプリ綾道. 宮古島市教育委員会. 2021年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月6日閲覧。
  3. ^ a b c “聖地「御嶽」を旅する:ステイホームで旅(6) パナリ御嶽(沖縄県・宮古島) 海中の「幻の御嶽」に想像力を刺激され -”. 毎日新聞. (2020年5月1日). オリジナルの2020年5月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200501111159/https://mainichi.jp/articles/20200430/k00/00m/040/308000c 
  4. ^ 安谷屋昭「宮古諸島の石灰岩大地とジオパークの可能性」(PDF)『宮古島市総合博物館紀要』第15号、宮古島市総合博物館、2011年3月、20-46頁、 オリジナルの2022年7月7日時点におけるアーカイブ。 
  5. ^ 安谷屋昭「宮古諸島のジオパークの可能性を探る」『沖縄地理』第10号、沖縄地理学会、2018年11月16日、41-47頁。 
  6. ^ 【県指定:天然記念物・植物】東平安名岬の隆起珊瑚礁海岸風衝植物群落”. 宮古島アプリ綾道. 宮古島市教育委員会. 2021年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月6日閲覧。
  7. ^ 沖縄県 『沖縄県自然環境保全地域指定候補地学術調査報告書』、1979年
  8. ^ “東平安名崎でテッポウユリ開花”. 宮古新報. (2014年1月24日). オリジナルの2014年9月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140904045628/http://miyakoshinpo.com/news.cgi?no=9635&continue=on 
  9. ^ “「初日の出」に大歓声─東平安名崎ほか”. 宮古新報. (2013年1月5日). オリジナルの2014年9月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140904022431/http://miyakoshinpo.com/news.cgi?no=7237&continue=on 
  10. ^ 平成23年2月7日文部科学省告示第19号
  11. ^ “東平安名崎を追加指定/国指定名勝”. 宮古毎日新聞. (2010年11月20日). オリジナルの2010年11月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101124052503/http://www.miyakomainichi.com/2010/11/10167/ 
  12. ^ 平成26年10月6日文部科学省告示第144号
  13. ^ “与那国ティンダバナ、国名勝へ 県内13番目”. 琉球新報. (2014年6月21日). オリジナルの2019年2月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190201224116/https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-227311.html 
  14. ^ 東平安名崎公園”. おきなわ 緑と花のひろば. 沖縄県環境部環境再生課. 2022年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月6日閲覧。
  15. ^ 日本の都市公園100選(ニホンノトシコウエンヒャクセン)とは?”. コトバンク. 2022年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月6日閲覧。
  16. ^ 日本八景(昭和2年)の選定内容”. 環境省. 2023年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月6日閲覧。
  17. ^ a b c 下地和宏 (2011年5月26日). “東平安名崎”. 宮古毎日新聞. オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160304124303/http://www.miyakomainichi.com/2011/05/19351/ 
  18. ^ 『日本水路誌』 2巻、水路部、1894年8月4日、317頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/847180/191 
  19. ^ 城辺町教育委員会 『東平安名崎の植物』、2004年
  20. ^ a b 【市指定:史跡】マムヤの屋敷跡・機織場・墓”. 宮古島アプリ綾道. 宮古島市教育委員会. 2021年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月6日閲覧。
  21. ^ 宮古島の伝説”. 宮古島キッズ ネット. 2022年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月11日閲覧。
  22. ^ 『御嶽由来記』(康煕本『宮古島旧記』)データベース〈MS Word版〉” (DOC). 琉球関連データベース. 明治大学古代学研究所. 2023年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月11日閲覧。
  23. ^ “観光客から「協力金」/保良自治会”. 宮古毎日新聞. (2021年12月26日). オリジナルの2021年12月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211226000734/https://www.miyakomainichi.com/news/news-161013/ 
  24. ^ “保良自治体 協力金賛否で対応苦慮”. 宮古新報. (2022年2月11日). オリジナルの2023年7月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220706105418/https://miyakoshinpo.com/2022/02/11/%E4%BF%9D%E8%89%AF%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BD%93%E3%80%80%E5%8D%94%E5%8A%9B%E9%87%91%E8%B3%9B%E5%90%A6%E3%81%A7%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E8%8B%A6%E6%85%AE/ 
  25. ^ “宮古島の人気観光地、入り口の「協力金」は半強制的? 市に苦情も…切実な地元の事情”. 沖縄タイムス. (2022年12月23日). オリジナルの2023年1月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230101050454/https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1077526 

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外部リンク

座標: 北緯24度43分9秒 東経125度28分7秒 / 北緯24.71917度 東経125.46861度 / 24.71917; 125.46861 (東平安名岬)



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