政治の道へ
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「佐藤夕子 (政治家)」の記事における「政治の道へ」の解説
2006年9月、河村たかしの秘書となる。なお、河村の秘書経験者である佐藤や田中美絵子には「河村シスターズ」の通称があった。 2007年4月10日、愛知県議会議員選挙に、河村の出身地である名古屋市東区選挙区から民主党公認で出馬し初当選。 2009年4月7日、河村が名古屋市長選挙に出馬するため衆議院議員を辞職。それに伴って佐藤も同年7月21日、県議を辞職。8月30日の第45回衆議院議員総選挙に、河村の選出選挙区である愛知1区から民主党公認で出馬し初当選。
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政治の道へ
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1968年、第8回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し2位で初当選。なお、1位は石原慎太郎、3位は上田哲であり、タレント政治家のパイオニア的存在となる。 テレビ司会者としても、1968年から11年間に渡る『お昼のワイドショー』、高見知佳との名コンビで広く親しまれた『追跡』などの司会者などとして引き続き芸能界でも活躍した。 後に無所属議員による院内会派第二院クラブに所属。「参議院議員は内閣に関与すべきではない」との立場から、首班指名は必ず棄権していた。 ある日、佐藤栄作が「自分は参院選の応援のために日本全国を回った」と話すので「自分はテレビでの知名度があって当選できた。選挙の立候補者も放送を通じて政見を述べればよい」と答え、青島の提案により政見放送が実施された。 1971年3月29日、予算委員会の代表質問において、与党自由民主党に対する財界からの政治献金の多さを批判する。首相の佐藤栄作を「もし理想的な政治資金規正法がつくられまして、これが厳密に運用されたら、自民党政府の存立はあり得ないでしょう。そのことはだれも知っておりますし、一番よく御存じなのは、佐藤さん、あなた御自身だと私は思います。だから、これは政治資金規正法の改正というのは私はできないと思います、あなたには。できもしないことを、やるのだやるのだとお約束になるから、ますます国民の不信を買うばかりであると私は信じます。(中略)資本主義国家なんですから、企業からお金を集めてそれを政治資金にするというのは、私は明らかにすればそれでいいと思うのです。できないならできないと明確におっしゃったほうが、一そうはっきりするのです。その代わり、政府はスポンサード・ガバメントであり、総理は財界のちょうちん持ちで男メカケである」と一刀両断し、大いに物議を醸した(永六輔は、後年にこの発言を「あれは一種の媚び。ああいう媚び方というのがある。芸者がお座敷で権力者の禿頭を叩くのと同じで、あんなこと言われても総理は痛くも痒くもない。かえって喜んでる」と批判した)。 自民党は懲罰動議を出し、また同党の要求で、太字の箇所は国会会議録より削除されたが、青島の懲罰委員会決議は見送られた。青島によると、懲罰を決議するためには本会議で弁明の機会を与える必要があり、この弁明は時間無制限であったためではないかとしている。 1974年の第10回参議院議員通常選挙以降、候補者の青島自らが街頭演説などの選挙運動を一切しないという独自の選挙活動を行う。これは青島が超有名人気タレントであるからこそ可能な戦法であった。 1981年、小説『人間万事塞翁が丙午』で同年上半期の直木賞を受賞。この作品は本人が直木賞を取ると周囲に公言して執筆・出版し、実際に受賞したものである。しかも当時の日本の文学史でも他に類を見ない離れ業であり、青島の豊かな才能の一端を示すエピソードとして知られている。 1989年、韓国大統領の盧泰愚宛に「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」という署名を133名の国会議員と連名で提出し、日本人拉致実行犯辛光洙ら29名の無罪放免を訴えた。 同年、4期目途中で消費税法案の強行採決に抗議して議員を辞職し、直後に予定されていた第15回参議院議員通常選挙に立候補するものの落選した。この行動は、中途辞職による比例代表名簿次点登載者であったいずみたくの繰り上げ当選と、自身の当選によって所属会派の議席増をもたらすため、「比例代表制度を恣意的に利用するものである」と批判された。 1991年に悪性リンパ腫が発見され、『追跡』など当時の全てのレギュラー番組を降板して治療に専念した。後に寛解するも、この時の抗癌剤治療が死因である骨髄異形成症候群の遠因となったとされる。 1992年の第16回参議院議員通常選挙で国会議員に返り咲き、金丸信と東京佐川急便の癒着疑惑について、東京地方検察庁が罰金のみの略式起訴で幕引きを図った際には、抗議のハンガーストライキを国会議事堂前で行った。
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