出生から社会党入党まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 09:24 UTC 版)
「レオン・ブルム」の記事における「出生から社会党入党まで」の解説
1872年、ユダヤ系の中流家庭の子息としてパリに生まれた。若いときから政治家を志していたわけではなく、むしろ文学などに関心が強かった。若いころにはフランスのナショナリズムを代表する作家・思想家で下院議員も務めたモーリス・バレスを敬愛し、その知遇を得ている。また、アンドレ・ジイドとはアンリ4世校で同級であり、高等師範学校の図書館司書で当時の左派知識人に対し強い影響力を持ったリュシアン・エールとも親しかった。そのため、ソルボンヌ大学でまず文学を修め、そして法学を修めると、法律家として国家参事会に勤務しつつ文芸批評と演劇批評でも活躍した。 彼を政治の道へ進ませた決定的な要因は、1894年に起こったドレフュス事件であった。かつては自由・平等といった普遍的理念に基づいて国民の創出を図ったフランスであったが、1871年の普仏戦争敗北後は排他的・民族主義的な反独ナショナリズムが高揚していた。ドレフュス事件は、こうしたフランスの実態を暴いた事件であり、この社会情勢を憂えたブルムは、政治活動に足を踏み入れた。1896年、当時を代表する社会主義者で、ブルムが尊敬の念を抱くことになるジャン・ジョレスと知り合い、本格的に政治活動へと身を投じた。
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