撤去と修復 (2008年)
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「外白渡橋」の記事における「撤去と修復 (2008年)」の解説
2007年3月に外白渡橋の補強工事が決まった。理由は「近くのトンネル工事が構造物にダメージを与える可能性がある」ためであり、「トンネル工事は本年中に始まり2010年に完了する。鉄製トラス橋である外白渡橋の橋脚は、橋全体を点検した後に改良される予定である。… 市の技術者たちは、創建当時の英語で書かれた青写真を徹底的に調べた」と発表された。修復計画の理由の一つは、「地上の渋滞を緩和するべく、外灘の下を通る巨大な2階層の車道用「外灘トンネル」(中山路E1)の建設を進めるため」だった。2008年の『上海日報』によると、「築100年にもかかわらず、橋は最近も品質検査に合格し、今回の大規模修理がなくても少なくともあと30年は安全に利用できることを示した」。「当初の姿に復元・補強する」というキー・コンセプトに基づくこの修復計画は、「川面からの橋本体までの最低高を維持する」という条件で国家文物局に承認された。 2008年2月29日に外白渡橋は撤去準備のため完全に閉鎖された。2008年3月1日に、外灘の交通経路の大規模な再編となる外灘再開発計画の一環として、また2010年に開かれる上海万博に向けた準備として、外白渡橋は2つに切断されて橋台から取り外され、大規模な修理と修復を受けるべく船に乗せられ浦東の造船所へ運ばれた。2008年4月6日に橋の南側が撤去され、翌日に北側も撤去された。修復作業は浦東の民生路ドックの上海造船所で行なわれた。プロジェクトの技術者によると、 16万個近いリベットが中国初の鉄橋を一つに繋ぎとめていた。かつて建設業で一般的なやり方だったリベットは、既に溶接にとって代わられた。リベットという時代遅れの技術は、今や鉄道橋の建設や造船という限られた分野でしか使われていない。上海造船所で橋の修復を行なうことになった者たちは、河北省山海関と陝西省西安の2つの工場から60人近いリベット職人を見つけ出し、上海に呼び寄せた。彼らは4人で一組となり、リベットを900〜1,000度に熱し、橋脚へハンマーで打ち込んだ。「夜になると、流星が空を横切るのを見るかのようだった。熱したリベットを一人が高く放り上げ、それをもう一人が道具で素早く掬い取り、寸秒の遅れもなく橋脚へハンマーで打ち込むのである」。 最終的に、「全体の4割にあたる約63,000本の鋼鉄製リベットが交換された」。『新闻晨报』によると、技術者たちが橋の構造上の完全性を点検したところ、橋にかなり硫黄分が含まれていることがわかり、その錆の除去が必要ということになった。…「その修理の間、老朽化した構造物の補強が行なわれた」。塗装のやり直しは主な作業のひとつで、橋から全ての錆と古い塗装を除去し、新しい塗装が施された。プロジェクトの技術者によると、橋には昔の塗装の厚い層があり、それはこれまでの修理工事の間に何度も塗り直された結果だった。それらを全て取り除いたあと、作業員たちは以前と同じ銀灰色の錆止め塗料を塗った。現在、橋は見栄えが新しくなっただけでなく、以前よりも錆に強くなった。 この修復事業には205トンの鋼鉄を要した。創建時のいくつかのコンポーネントは、上海市内の博物館で展示されることになった。修理事業に携わった者によると、「鉄製の手すりとコンクリート製の歩道は、木製に置き換えられた。三角形のトラスは1907年の時にそうだったような円弧状のものに置き換えられた」。木製の歩道が車道の両脇に復元された。事業の責任者によると「橋は元の場所へ戻されたのち、車道は舗装される予定である。橋の創建時の古い姿に戻すため、新しい歩道は今のコンクリート製から木製に変える予定である」。加えて「橋の2つのアーチの三角形のフレームは、元の景観を復元するため曲線のものに置き換えられる予定である。以前の修理の際、以前の修理の際、曲線状のものより作りやすかったため三角形構造のものに置き換えられていたのだ」。事業の技術者によると、「橋の主構造に比べると、水面下の部分は思い切った変更がなされている。河底に11メートル打ち込まれた800本近い木製の支柱が取り除かれ、河底下67メートルの深さまで深く根を下ろした36本の1メートル幅のコンクリート製の土台の上に橋の3本の橋脚が乗ることになる」。修復された橋は当初の木製の土台より広くまた深い新しい橋杭の上に乗り、少なくとも今後50年は安全に寿命を保つと期待される。
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