撤去計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/20 09:31 UTC 版)
「ロバート・E・リー像」の記事における「撤去計画」の解説
2016年3月、シャーロッツビルの副市長ウェス・ベラミーは、地元の市議会にリー将軍像を撤去したうえで公園の名称を変更することを要求したことを、像の近くで行われた記者会見で発表した。 ベラミーは、リー将軍像によって市の地位は下がっているとし、「この像と公園の名前のせいで足を踏み入れるのも嫌だと思う様々な人と、私は意見を交わした。そして我々はシャーロッツビルの町にこのようなものは置くことはできない」と述べた。 全米黒人地位向上協会のシャーロッツビル支部の代表であるリック・ターナーはベラミーを支持することを表明し、リー将軍はテロリストであると名指しした。他の者は、師団を育て上げて歴史を書き換えようとしたバージニア州の英雄・リー将軍の歴史的な偉業を軽視したとして市議会とベラミーを非難した。 「この像は憎悪の象徴であり、人種差別の潜在的なメッセージであるから、撤去してほしい」という旨の請願書が提出された。 2016年4月、市議会は、裁判所広場にあるトーマス・ジョナサン・ジャクソン(ストーンウォール・ジャクソン)将軍像とリー公園にあるロバート・エドワード・リー将軍像を含む複数の建造物や彫像について市の職員と話し合うBlue Ribbon Commission on Race, Monuments and Public Spacesという特別委員会を開くことを決定した。 2016年11月上旬に開かれたThe Blue Ribbon Commissionの投票では、6-3でジャクソン将軍とリー将軍の像を残すことを決定したが 、同年11月28日に開かれた投票では、7-2でリー将軍の像をシャーロッツビルのマッキンタイア公園から撤去し、8-1でジャクソン将軍像を残しておくことが決定し、12月にはシャーロットビル市議会において最終報告が行われた . 2017年2月6日に行われたシャーロッツビルの市議会議員5人による投票では3対2でリー将軍の像の撤去が決定し、満場一致でリー公園の改名も決定した。 これを受け、同年3月20日には友愛団体・南部連合軍退役軍人の息子たち(英語版)や、 Monument Fund Inc、さらには彫刻者や寄付者の子孫にあたる多くの人々が、リー将軍像とジャクソン将軍像の撤去を阻止するために裁判を起こした。 シャーロッツビルの市議会の決定が、南北戦争の記念物を保護する法律に対する違反であり、マッキンタイアからの寄贈物であるこの像と公園に対しても市議会が法律違反を犯したか否かが争われ、この裁判はこれらの像の撤去に対する差し止めを禁ずる仮処分が下されるかとみられた。 シャーロッツビル市側は、これらの像が南北戦争に対する記念物として作られたのではなく、バージニア州の南北戦争の記念物を保護する法律の対象外であるとし、仮処分を下さないでほしいとした。2017年3月2日、リチャード・ムーア判事は、リー将軍像については、国民の利益のためとして6か月の差し止め仮処分を下し、判決は控訴審で争われることとなった。 2017年4月、前回の2月の投票に沿う形で、市議会にて投票が行われ、3対2でリー将軍をシャーロッツビルから撤去し、市議会が選んだところに売却することが決定した。 同年7月7日から8日に日付が変わるころ、何者かがリー将軍像に赤い塗料を塗りつけた 。このいたずらは今回が初めてではなく、2016年6月には、台座部分に"Black Lives Matter"という文字がスプレーで吹き付けられていた。
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