撤兵へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 09:16 UTC 版)
この廈門占領は、英国・米国・ドイツの疑惑を呼び各国の領事は強く抗議した。とくに英国はこれに対抗して軍艦より水兵隊を上陸させた。このことから伊藤博文を首班とする日本政府は、布教所の焼失程度で陸軍の派兵を正当化することはできないと判断して、派兵行動の中止を命じた。児玉はそれに従い陸兵隊を乗せた輸送船を引き返させた。海軍陸戦隊も各国領事との協議のもと撤兵した。列強各国の意図は、日本の福建省への勢力拡大を好ましく思わなかったことと、清国の南方諸総督が南清秩序維持協定を締結して戦闘区域を北清に限定していた状況を保ちたいという意図があった。一方日本は、義和団事件鎮圧を通じて生じていた列強各国との関係を崩したくないという意図が働いた。そのため事件の責任の所在は曖昧なままにされ、処罰された者はいなかった。
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