拡大と冷戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 06:40 UTC 版)
「東側諸国」も参照 第二次世界大戦後、多くの社会主義国が誕生した。 東欧では、多くの国々がソ連により「解放」された結果として社会主義国(衛星国)となり、ソ連を盟主とする軍事同盟のワルシャワ条約機構に加盟した(東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、アルバニア)。ただしアルバニアは中ソ対立の際に親中路線をとり脱退した。ユーゴスラビアは当初の親ソ路線から独自の社会主義路線に転じ、非同盟中立政策や、一定の自由市場経済を認める市場社会主義を採用した。 東アジアでは、大日本帝国の敗戦により、1948年に韓国樹立に対抗する形で北朝鮮が成立した。中国では第二次世界大戦後に国共内戦が再開され、蔣介石率いる中国国民党及び中華民国が台湾に逃走した結果、1949年に中国共産党率いる中華人民共和国が成立した。ソ連、中国の間では同盟が結ばれた。 東南アジアでは、終戦の混乱に乗じて1945年に旧仏領インドシナ地域が独立を宣言し、ベトナム民主共和国(北ベトナム)が成立した。しかし1946年にはフランスが東南アジアの利権を守るべく傀儡政権のコーチシナ共和国を成立させたことで、南北分断国家となり、南北対立と断続的な戦争が行われた。 北ベトナムはソ連や中国の(中ソ対立ではソ連側に付いた)、南ベトナムは当初はフランスの、後にはアメリカ合衆国の支援を受けた。しかし1975年、北ベトナム軍は南ベトナムの首都サイゴンを陥落させ、社会主義国としての統一を実現した。周辺国のカンボジア、ラオスも社会主義国となった。 これに対し、ミャンマー(ビルマ)では、1962年、ネ・ウィンがそれまでの国内の混乱を背景にクーデターを決行。「社会主義へのビルマの道」と呼ばれる独特の民族主義・国家主義・社会主義体制を確立。アメリカ・ソ連との関係を最低限の範囲にまで縮小させて、国際的には孤立化の道を歩む事となった。 南アジアにおいては、インドはソ連の支援を受け、社会主義的政策を取った。 中東・アフリカでは、1976年にはアンゴラ、1977年にはセーシェル、1978年にはエチオピア、モザンビーク、南イエメン、アフガニスタンで社会主義政権、もしくは親ソ政権が誕生した。 中南米では、アメリカの半植民地状態であったキューバで、1959年にカストロ率いる革命政権が発足した。また1970年にチリの自由選挙においてサルバドール・アジェンデが大統領に選出される。しかしこのアジェンデ政権は、1973年にはCIAの後援を受けたピノチェト将軍らによるチリ軍事クーデターにより崩壊した。 以上のように西側諸国は「ソ連が国内には恐怖政治、国外には革命の輸出を行っている」として軍事的圧力や経済封鎖、反革命勢力への武器提供や資金援助を行った。東側諸国はこれに対抗して国内統制を強化しコミンフォルムを通じて西側の社会主義政党にも介入したため、冷戦や、朝鮮戦争やベトナム戦争などの代理戦争が繰り広げられた。 「冷戦」も参照 なお、東南アジア・アフリカ・南米などの社会主義国は、資本主義が進化して社会主義へ進んだというより、旧宗主国である西側諸国と対決して植民地や半植民地状態から独立し、ソ連などの援助を得て国家指導の近代化建設を推進する面が強く、陣営は異なるものの反共主義を掲げて西側の援助を得た開発途上国の開発独裁とも共通する。
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