拡大と分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 01:36 UTC 版)
1990年代に入ると、年2回春と秋に行われる恒例のイベントとして定着していった。一方で、来場者と出演者が増加したことで、商店主やボランティアからなる運営にかかる負担も大きくなっていた。1995年春からは、開催を年1回に限定する一方で、ランドマークタワー等みなとみらい地区へと会場を拡大した。会場拡大の動きはその後も続き、2000年には新港地区、2001年に桜木町地区のクロスゲートやみなとみらい地区のジャックモール、2002年には新港地区の赤レンガ倉庫、伊勢佐木町イセザキモールが加わり、2003年には吉田町での路上アートフェスティバルもイベントに含まれるようになり、期間中100万人の来場を見込む横浜市でも有数のイベントに成長した。 野毛大道芸の成長の一方、、2004年1月にはみなとみらい線の開通に伴い東急東横線桜木町駅が廃止になったことで、野毛地区の商店では経営の悪化や閉店などの深刻な影響を受けることになった。協賛金集めも難しくなってきたことなどもあり、野毛大道芸を運営する実行委員会では、会場を野毛地区に限定し原点回帰を目指す意見と、別の街との連携の中で商店街を盛り上げていくべきとする意見が対立、野毛大道芸初期からの中心人物のひとりであり拡大路線を推し進めてきた福田が2005年に任期満了に伴い野毛地区街づくり会の理事を退任すると、2006年に実行委員会は3つに分裂。野毛大道芸は野毛地区限定のイベントとなった一方で、福田は「ヨコハマ大道芸」を立ち上げ、さらに1995年から会場となっていたみなとみらい地区でも独自の実行委員会が設立されて、三つの大道芸イベントが並立する事態となった。平岡正明はこの分裂について方針の違いではなく、野毛の町おこしのほとんどを主導してきた福田に対するクーデターであると批判している。 野毛地区街づくり会は野毛のブランド化を推し進め、2007年に施行された中小企業地域資源活用促進法に基づく地域資源活用事業の初回認定に野毛大道芸が入るなど、大道芸を中心とする街づくりに力を入れていった。しかし、2014年2月には実行委員による協賛金会計に不正があったことが発覚し、同年春に予定していた野毛大道芸が秋に延期となる事態となった。秋に開催された第40回の野毛大道芸では、分裂以降実行委員から離れていた福田、三橋、森といった初期の中心メンバーが運営に復帰した。
※この「拡大と分裂」の解説は、「野毛大道芸」の解説の一部です。
「拡大と分裂」を含む「野毛大道芸」の記事については、「野毛大道芸」の概要を参照ください。
- 拡大と分裂のページへのリンク