戦後の変革と「皇后の和服姿」とは? わかりやすく解説

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戦後の変革と「皇后の和服姿」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:19 UTC 版)

香淳皇后」の記事における「戦後の変革と「皇后の和服姿」」の解説

1945年昭和20年)秋、疎開していた皇子女たち5人が帰京し家族団欒時間を持つことができるようになった。翌1946年昭和21年2月から、昭和天皇沖縄県を除く日本各地巡幸した(昭和天皇の戦後巡幸)が、皇后当初同伴しなかった。皇后は、単独近郊行啓再開し9月4日初め同伴した同年10月17日継宮家庭教師としてエリザベス・ヴァイニング来日し天皇皇后、そして継宮初め対面した。後に皇后自身ヴァイニング夫人から英語を習うようになった1947年昭和22年1月16日皇室典範現行)が公布され5月3日日本国憲法同日施行された。10月14日香淳皇后実家である久邇宮家や成子内親王婚家である東久邇宮家も含む11宮家51人が、皇室典範規定により臣籍降下皇籍離脱)した。 皇室在り方一変した後は、皇后同伴公務一般的になったこともあり、積極的に国民親しもうとする夫・昭和天皇意向汲んで各種活動活発に行った1947年昭和22年)の日本赤十字社名誉総裁就任はじめとして1952年昭和27年以降全国戦没者追悼式1964年昭和39年)の東京オリンピック開会式1970年昭和45年)の日本万国博覧会開会式1972年昭和47年)の札幌オリンピック開会式および沖縄復帰記念式典などへの出席はその例である。靖国神社護国神社への天皇親拝にもたびたび同行している。 また皇女たちの結婚にあたり長女成子内親王の例から、娘たち意思尊重するためのお見合いデート勧めた第二皇女孝宮和子内親王1950年昭和25年5月20日鷹司平通(旧公爵家の嫡男)に降嫁した。この時、天皇・皇后、そして皇太后披露宴にも参列した1951年昭和26年5月17日義母貞明皇后崩御した。皇后は、この急な悲しみを『母宮追慕日記』として綴った1952年昭和27年元日初めて「天皇ご一家としての写真公表された。10月10日第四皇女順宮厚子内親王池田隆政(旧侯爵家の嫡男)へ降嫁した。順宮の婚礼参列する際、香淳皇后初め公の場和服着用した。このとき皇后着用したのは、金茶色に自身デザインした図案であった戦後天皇退位論や戦争責任論が起こる中、皇后親しみやすさのシンボルとする必要性生じていた。一般国民和服多く着用していた時代であり、「私たちと同じ存在」として好意的に受け止められた。 同年には、田中千代皇后衣装アドバイザーとなっていた。皇后宮中服姿は評判悪かったが、英国王室のように最先端デザイン取り入れることは予算的に困難であったため、和服着用する至ったこうした金銭的状況による質素な皇室というイメージも、高度成長期前の日本国内では、皇室身近さアピールに有効であった。ただし、皇后の持つ「7人の子を持つ母」のイメージ当時としても少し古いものであり、後のミッチー・ブームのような熱狂的な支持を受けるには至らなかった。 また、同年11月10日には継宮明仁親王立太子の礼挙行され日本国との平和条約発効に伴う主権回復GHQ/SCAP占領統治終了)後最初国事として国民的な祝賀受けた皇后和服着用先立つ1948年昭和23年元旦及び1月2日、「国民参賀が行われるようになり、主権回復後新年祝賀の儀国事とされた。1953年昭和26年)からは天皇・皇后バルコニーに立つことが予告されようになった。こうして1953年以降元日新年祝賀の儀及び「プライベートなご一家写真」の公表1月2日一般参賀における「パブリック現前性」という、二重の表象性が確立された。その初回である1953年昭和28年1月2日の「一般参賀」に皇后和服現れ、「民族性伝統強調するメッセージ性を発信した。 『主婦の友1955年1月号から、小山いと子による実名小説皇后さま』が連載され人間らしい良さま」や「裕仁さま」が読者好意的に受け止められた。 天皇宮中服姿の皇后1946年撮影皇居前広場での「日本国憲法公布記念祝賀都民大会」にて) 三女孝宮和子内親王鷹司平通婚礼1950年5月20日

※この「戦後の変革と「皇后の和服姿」」の解説は、「香淳皇后」の解説の一部です。
「戦後の変革と「皇后の和服姿」」を含む「香淳皇后」の記事については、「香淳皇后」の概要を参照ください。

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