戦後の大津町線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/27 23:45 UTC 版)
「名古屋市電大津町線」の記事における「戦後の大津町線」の解説
戦後、1950年(昭和25年)12月の段階で、大津橋停留場を挟んで大津町線と東片端線東片端方面を直通する運転系統が存在していた(起点は高岳線大曽根)。以後も、下記#運転系統にある通り、大津橋停留場を起点に熱田線方面へ南下する系統と、高岳線大曽根方面から東片端経由で熱田線方面へ直通する系統の2種類が大津町線には設定されていた。 名古屋市電は1950年代後半に最盛期を迎えたが、そこから間もない1961年には市営地下鉄の建設と引き替えに1985年(昭和60年)までにおおむね撤去するという方針が国の都市交通審議会で示された。交通局では国の指針を背景に、事業の大幅な赤字化や、より郊外へ伸びる市営バスとの競合、自動車の普及による交通事情の変化など市電を取り巻く環境が変化したとして、地下鉄建設推進・バスの拡充と市電の段階的廃止を盛り込んだ「名古屋市交通事業の5カ年計画」を1965年(昭和40年)3月に発表するに至る。計画では1969年度までの5年間で廃止すべきとして7線区計23.3キロメートルを取り上げ、大津町線・熱田線大津橋 - 金山橋間3.9キロメートルについても1967年度(昭和42年度)に廃止すべきとした。廃止理由は並行する地下鉄の整備でこの区間の利用者6万人を十分輸送できる、というものであった。 南北方向の地下鉄路線である名古屋市営地下鉄名城線は、まず1965年10月に北側の栄 - 市役所間が開通、1年半後の1967年(昭和42年)3月には栄 - 金山間も開通した。地下鉄建設を受けて翌1968年(昭和43年)2月1日、市電大津橋 - 金山橋間は予定通り廃線となり、大津町線は全廃された。
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