急行「ごてんば」の登場と「東海」
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「東海 (列車)」の記事における「急行「ごてんば」の登場と「東海」」の解説
1968年(昭和43年)2月:「東海」の一等車を冷房装置付きのサロ165形に置き換え。 4月27日:東京駅 - 御殿場駅間を運行する急行「ごてんば」が下り4本・上り3本で運転開始。「ごてんば」は165系3両編成(13 - 15号車)で下り4号(土曜日運転)は全車、その他列車は1両を座席指定とする。東京駅 - 国府津駅間で「東海」または、東京駅 - 伊豆急下田駅間の急行「伊豆」と併結した。 なお、これらの急行は従来国府津駅通過であり、増解結時分捻出のため東京駅 - 熱海駅間で運転時分の調整を行った。 10月1日:ヨン・サン・トオのダイヤ改正により、以下のように変更。「東海」は下り2・3号、上り2・4号の運転区間を東京駅 - 静岡駅間に短縮。東京駅 - 名古屋駅・大垣駅間各1往復、東京駅 - 静岡駅間2往復となる。 「中伊豆」は臨時列車に格下げされ、「しゅぜんじ」に改称(のちに廃止)。 従来東京駅 - 大阪駅間に運転されていた夜行客車普通列車1往復に代えて、それまで運転されていた臨時夜行急行列車「ながら3号」を普通列車化・定期運用化する形で東京駅 - 大垣駅に夜行普通列車(通称:大垣夜行)を設定。 「東海」の一等車に冷房装置付きのサロ163形が加わる。 1970年(昭和45年)10月1日:「ごてんば」の指定席を廃止し、全車自由席に変更。 1971年(昭和46年)2月1日:「ごてんば」の下り3号・上り1号を定期格上げ、土曜運転の下り4号を廃止して定期2往復・季節1往復運転となる。 1972年(昭和47年)3月15日:「東海」は運転区間を全列車東京駅 - 静岡駅間に変更。以降、静岡駅以西の運転は新幹線午前工事運休日の上り臨時列車のみとなる。 1973年(昭和48年)4月1日:東京駅の東北新幹線乗入れに伴う構内工事のため、「東海」「ごてんば」は下り2号を品川駅始発とする。 1975年(昭和50年)3月10日:「東海」の編成内に155系が連結されるようになる。 1976年(昭和51年)2月25日:この日「新幹線若返り工事」による東海道新幹線の半日運休により、代替列車として当列車名を冠した臨時列車が東海道本線上で運転される。その後も工事日の度に運転され、1982年の工事終了まで続く。なお、使用車両は大垣電車区の159系と田町電車区の155系とした。 1980年(昭和55年)10月1日:ダイヤ改正により、以下のように変更。「東海」の2往復、「ごてんば」の1往復を廃止。 「東海」への155系の編成への組み込みが終了。 1981年(昭和56年)10月1日:「東海」4号の浜松駅 - 静岡駅間を普通列車として延長運転。また急行「ごてんば」は167系4両編成に変更となり、「東海」と併結する東京駅 - 国府津駅間では在来線旅客列車最長の16両編成となった。なお、80系電車以来、湘南電車では15両編成に荷物電車を連結した16両編成が存在したが、16両全車両が旅客車というのは在来線では本列車群が廃止された以降でもほかに例がない。 1982年(昭和57年)11月15日:「東海」の全列車が165系に置換えられる。ただし、一部検査周期の関係から、1983年2月までモハ153, 152-1, 159、サハ153-210, 212など153系の使用が続いた。 1985年(昭和60年)3月14日:急行「ごてんば」が廃止され、旅客列車での16両編成が消滅。御殿場線内停車駅:国府津駅 - 松田駅 - 山北駅 - 駿河小山駅 - 御殿場駅 1986年(昭和61年)11月1日:「東海」4号の始発駅を浜松駅から静岡駅に変更、12両編成から11両編成となる。 1989年(平成元年)3月11日:「東海」車両の受持ちが大垣電車区から静岡運転所に変更。 1992年(平成4年) 3月14日:「東海」は東京到着後大垣夜行として折り返す4号を除き、11両編成から8両編成となる。
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