御影時代までとは? わかりやすく解説

御影時代まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 11:44 UTC 版)

八木重吉」の記事における「御影時代まで」の解説

東京府南多摩郡堺村相原大戸現在の東京都町田市相原町)に生まれる。八木藤三郎、母つた。生家代々農業営み重吉三男二女の中の次男。父の代には雇人もある自作農であり、でも暮らし向き良いであった1904年明治37年大戸尋常小学校入学1908年明治41年隣村である神奈川県津久井郡川尻尋常小学校(現・相模原市立川尻小学校)へ通い始め1912年明治45年3月川尻尋常小学校高等科卒業母方縁戚加藤武雄がおり、川尻尋常小学校高等科教員務めていたときに重吉生徒だったこともあった。 1912年明治45年4月鎌倉市にあった全寮制神奈川県師範学校予科(現・横浜国立大学)に入学寄宿生活を送る。英語を得意とし、1915年大正4年ラビンドラナート・タゴール詩集である花園緑人著『タゴールの詩と文』を愛読して文学にも興味示し師範学校内の詩の会にも参加した高学年になり日本メソジスト鎌倉教会日曜のバイブルクラスに出席する1917年大正6年3月神奈川県師範学校本科第一部卒業後、4月より東京高等師範学校文科第三部英語科予科進学し東京大塚の学校の寮に入る。1918年大正7年)になると北村透谷傾倒し、『透谷全集』を読み6月には未亡人ミナ新小川町の家に訪ねている。この頃同級生クリスチャン吉田不二雄と親交深め小石川福音教会のバイブルクラスに出席するようになり、新約聖書原語ギリシア語で読む[要出典]。 1919年3月2日駒込教会富永徳磨から洗礼を受け、キリスト教に入信する。ただし、5月4日駒込基督会の夜の礼拝出席したのを最後に富永からは2か月ほどで離れ以後死去するまで特定の教会属さない無教会立場貫いた。これについては、内村鑑三からの影響指摘されており、鑑三の講演にも接したこの間3月11日付で、重吉編集加わった一粒の麥 吉田不二遺稿』が刊行され、二年先輩永野芳夫連名序文告ぐ」を付したこの頃から、ジョン・キーツの詩に親しんだ同年12月スペインかぜ罹患し肺炎併発し東京神田橋本病院へ3か月に及ぶ入院をし、父と弟看病受けたのち、1920年大正9年堺村実家静養する全快後、本科3年進み、寮を出て池袋下宿生活を始める。秋に高等師範学校の英語劇大会で舞台背景作画担当した1921年大正10年3月下宿先島田とみが滝野川女子聖学院3年級の編入試験準備として訪れ重吉は約一週間英語と数学教える(本来は同じ下宿暮らしていた人物頼ってきたが重吉紹介された)。とみは合格したものの、直後重吉東京高等師範卒業し兵庫県御影師範学校神戸大学国際人間科学部前身)に英語科教諭訓導として就職して武庫郡住吉村現・神市東灘区山田柴谷方に下宿し遠く離れることになった7月には、当時義務づけられていた6週間陸軍現役制度により、姫路市歩兵第39連隊入営している。この間4月重吉はとみに手紙出して文通始め同時期に日記短歌や詩を記すようになる。やがて重吉はとみとの結婚を真剣に考え始め9月手紙でとみに愛を告白した。しかし、恋愛結婚には実家長兄政三から反発があり、重吉高等師範先輩教え受けた内藤卯三郎相談内藤説得によって理解得た重吉ととみは1922年大正11年2月に「とみの卒業後に結婚する条件横浜市本牧本牧神社重吉、とみ、八木藤三郎、島田慶治、内藤の5名で婚約式おこなった。ただし、重吉の父からは内藤に「あなたの弟とおもって重吉味方になってやってくれ」」との言葉があり、勘当に近い形での婚約であった3月春休み利用し上京し横浜市本牧内藤宅で休日を過ごすが、このとき重吉肋膜炎罹患していた。その後、とみも肋膜炎発症したことから急遽上京し、「自分御影引き取って教育し丈夫にする」と兄慶治に申し出て同年7月19日女子聖学院4年中退したとみと内藤卯三郎立会のもとに結婚武庫郡御影町現・神市東灘区石屋川借家新婚生活を送り始める。この時期詩作活発になるとともに日本外国問わず多く詩人作品を読む。とりわけジョン・キーツから強い影響を受け、「あこがれの人」「キーツはわが故里のごとし」といった言葉書き残している。1923年(大正12年)自作の詩を、原稿用紙リボン綴じた手製の小詩集にまとめ始める。3月御影町転居した。5月26日長女桃子生まれる。10月22日付けノートよせあつめ」を作成し芭蕉作品ドイツ近代詩人の詩を原文のまま筆写する。1924年秋には、自筆詩集再編して『秋の瞳』という自選集を作り加藤武雄送付して出版依頼した12月29日長男陽二が誕生する1925年(大正14年)3月までの御影在住時代1800編近い詩を書いたとされる

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