父と弟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 18:06 UTC 版)
『狩野文書』の元亀二年七月晦日付け一任斎宛足利義昭御内書には、一任斎為三に宛てた手紙の書出しに「舎兄下野守跡職并自分当知行事」と記されており、下野守は一任斎の兄となる。つまり、宗渭と為三は兄弟である。 父に関しては諸説あり、『三好別記』や『芥川系図』では宗渭を三好政長の子とするが、『続応仁後記』では「三好之長の次男・孫三郎頼澄の子」とする。なお頼澄の子とする場合、兄は三箇城の城主・三好政成とされる。 三好長慶の書状などでは「宗三」と「右衛門大夫政勝」が「父子」と表現されている。これを踏まえると、宗渭と為三とが兄弟なら、いずれが政勝にせよ、宗渭の父は三好宗三、つまり三好政長である。
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