岡津道とは? わかりやすく解説

岡津道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 16:48 UTC 版)

汲沢」の記事における「岡津道」の解説

泉区岡津町から踊場周辺経由して汲沢南西方向に進み宇田川近くまで出た後、深谷専念寺方面、さらに藤沢小田原へと続く道が「岡津道」、あるいは「藤沢道」、「小田原道」とも呼ばれる道であり、現在は踊場郵便局戸塚高校汲沢小学校沿道に並ぶ。 鎌倉時代初期岡津鶴岡八幡宮寄進され武士地頭として徴税を含む支配全権握っていたと推定されるが、文永7年1270年)、徴税あり方をめぐり、岡津町島田谷の居館居住していた地頭甲斐三郎左衛門尉為成と八幡宮側が対立した末、「八幡宮側が岡津使者出して作の良否確かめた上で年貢決め」るとの条件を含む案で決着を見る。小田原北条氏時代岡津支配したのは太田大膳亮であるが、その所領武蔵国相模国にまたがるかたちで現在の埼玉県深谷市から平塚市にまで及んでおり、北条氏側の有力な武士の一人であったとも推定されているが、大膳亮自身最大領地であった江戸芝崎現在の東京都千代田区文京区一部)に居住していたとされる徳川家康によって江戸幕府開かれた際、各地代官統括する立場にあったのが代官頭呼ばれる職であり、相模国9郡のうち、鎌倉高座、淘綾、大住愛甲津久井の6郡では、彦坂元正(元成)がその役を担った元正は、代官頭中でも有力であり、『戸塚歴史』は「将軍の手となり足となって、諸制度整備手腕発揮し幕府基礎固め協力した」と評する元正手掛けたものに東海道中山道整備および伝馬の制の確立などがあったが、元正自身、後に戸塚宿本陣となる沢辺宗三(恒久)の妹を妻に迎えていたという事情もあり、当初正式な宿場としての選に漏れた戸塚が、宿場町として地位手に入れ過程深く関わったという。『東照宮御実紀慶長9年11月2日の項には「彦坂刑部元正より戸塚の駅に。神奈川藤沢同じく駅馬のことつかうまつるべしと令す。」とある。 元正が居を構えたのが岡津鷹匠町岡津陣屋であり、現在の横浜市泉区岡津小学校付近にあたる。『新編相模国風土記稿岡津の項には「彦坂刑部元正陣屋跡」と題され記述があり、そのなかで元正天正一八関東御入国の後、近郷代官職を奉はれり、其頃居住陣屋なり」と説明されている。元正はこの陣屋拠点としつつ「各地在地土豪系譜をひく手代をおいて民政実務取らせていた」と『戸塚歴史』は解説する岡津また、江戸から片道一日の距離に位置し鎌倉および三浦半島一帯武蔵国南部久良岐郡など)の抑えになる要衝としての玉縄城にも近い。鎌倉時代には甲斐三郎為成、小田原北条氏時代には太田大膳亮岡津支配していたこともあり、元正存在合わせて、岡津道が「政治的に重要な道」であったとも指摘されている。 『戸塚歴史』は、元正が「戸塚中心とした地域では善政布き岡津陣屋には岡津まいりをする人もあってたいへん賑わった」と挙げるとともに陣屋設ける以上は交通の便良さ考慮されであろうことから、「岡津みちとか藤沢みちと呼ばれる尾根道がかつての街道であって、今の東海道よりもずっと西に街道あったか知れない」と述べ、岡津道の重要性指摘する一方現在の東海道道筋整備される以前、「保土ヶ谷から藤沢へ向かう際は、弘明寺経由本郷台から大船の玉縄城前を通るのがメインルートであったともいわれる元正慶長11年1606年)、伊豆での不正行為理由失脚するが、これについては元正が「関東入部直後に、いわば仮の形で支配形態作り代官頭として活躍したが、幕府体制固まり本格的な政治体制組み替える際には、逆に不要な人材になっていった」と考察されている。岡津その後旗本黒田直綱のもとにおかれ、依然として政治的に人々暮らしの面でも重要な役割果たしていた」と同時に、岡津道が、大名行列通過などで戸塚宿通行支障きたしたの裏道として機能した指摘されている。 戸塚高校汲沢小学校との間の小さな谷の北側の坂を腰抜け坂と呼び岡津陣屋近く刑場見えたために罪人腰を抜かしたことから名づけられたとの説があるが、刑場に関しては『皇国地誌』の岡津の項の「代官屋敷址」と題され文中に「此処より南方隔ること三町五間にして旧仕置場と称す地あり。その内二間四面の凹あり。往古罪人を刑伐して投込し穴と呼ぶ。」とあるように、踊場駅付近よりさらに数キロメートル遠方位置する窪地であった。坂の勾配のため荷物を運ぶのに苦労をしたのが腰抜け坂との名称の由来であるとする説もある。 汲沢周辺の岡津道沿いには、踊場供養塔ログハウス前の祠、戸塚高校南側マンション敷地内の祠、、稲荷(岡津道は古く汲沢小学校校庭内を通過した)、大丸祭壇道標汲沢交差点大山不動中村三差路バス停の子育て地蔵等が残されている。

※この「岡津道」の解説は、「汲沢」の解説の一部です。
「岡津道」を含む「汲沢」の記事については、「汲沢」の概要を参照ください。

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