岡津製塩遺跡
名称: | 岡津製塩遺跡 |
ふりがな: | おこづせいえんいせき |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 福井県 |
市区町村: | 小浜市岡津 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1979.05.21(昭和54.05.21) |
指定基準: | 史6 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S54-6-035[[岡津]おこづ]製塩遺跡.txt: 本遺跡は、若狭湾の一角を占める小浜湾に面しており、小浜市街の西方約7キロメートルの地点にある。東方の山側から緩やかに傾斜する地形の末端部に立地しており、西側は海岸線で区切られる。 本遺跡は、昭和53年に小浜市教育委員会により発掘調査が行われ、製塩炉9基の他巨大な焼土面や旧海岸線が確認されて、その重要性が明らかになったものである。煎熬用と推定される製塩炉はすべて敷石をもち、5基が船岡式と呼ばれる8世紀の製塩土器に伴う炉で、他の4基は、7世紀末から8世紀初頭と推定される新型式製塩土器に伴う炉である。船岡式期の炉が最もよく整っており、径10~30センチメートルほどの上面の平らな礫を敷きならべ、長さ4~5メートル、幅2~4メートルの平面規模を有する。敷石面は火熱で焼けた痕跡をとどめ、敷石の間には多量の木炭がつまっている。敷石炉群の西側には南北約30メートル、東西約10メートルにおよぶ大規模な焼土面が認められる。これは、船岡式期の炉と同じ旧地表面に、3~10センチメートルの厚さで赤土を敷きつめ火熱を加えられたもので、製塩作業のいかなる過程で用いられた施設かまだ十分に解明されていないものの、意識的に造成された面であることはほぼ確実といえる。焼土面の西側には南北方向にのびる旧海岸線が認められ、海岸のゆるやかな斜面には敷石炉の廃材とみられる焼けた礫が多数散乱している。 本遺跡は、製塩遺跡としては全国的に比類のない豊かな内容をもちかつ保存状況も良好であって、製塩遺跡の1典型を示す例と考えられ、また、藤原宮や平城宮では若狭国から調として送られてきた塩の付札木簡が発見されているが、7~8世紀に稼働していた本遺跡は、そうした塩の生産を具体的に裏づける資料でもあり、学術上きわめて重要なものと考えられる。 |
岡津製塩遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 00:15 UTC 版)
岡津製塩遺跡(おこづせいえんいせき)は飯盛山南西麓の小浜湾海岸線にある製塩遺跡。国指定の史跡であり、7世紀~8世紀にかけての製塩炉跡9面が検出されている。2015年(平成27年)4月24日、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 - 御食国(みけつくに)若狭と鯖街道 - 」の構成文化財として日本遺産に認定される。
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