大丸祭壇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 16:48 UTC 版)
踊場駅から汲沢交差点へ抜ける岡津道が坂を下り終えたあたりに祭壇が設けられており、富士山信仰に由来する明治23年(1890年)建立の富士嶽神社碑のほか、地神塔(明治7年/1874年)、庚申塔(天保14年/1843年)、三申付庚申供養塔(宝暦9年/1760年)、石塔(慶応4年/1868年)が祀られている。このうち、天保期の庚申塔には「南 ふじ沢 北 かしを 東 とつか 西 八王子」と刻まれ、道標としても用いられていたことが見える。左には、「日の本の 鎮なりけり 千代八千代 容かはらし 山も富士のね」と刻まれた扶桑教信徒建立の紀元二千六百年記念碑(昭和15年/1940年)が建つ。富士嶽神社碑の前では毎年4月1日、白装束に金剛杖姿の信徒が禊祓や祝詞などを唱え、また子供たちに菓子を配ったという。土盛の上には平成9年(1997年)に新たに設置された富士浅間祠堂がある。設置にあたり代表者が須走登山口にある富士浅間神社の本宮まで持参、祈念をうけた御札が祀られているという。
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