大主教ニコラオス
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「ミラのニコラオス」の記事における「大主教ニコラオス」の解説
ニコラオスは巡礼後修道士となったが、丁度その頃にリュキアのミラで大主教ヨハネスが永眠しており、その後継者を探している人々にニコラオスを後継者とするよう天使からお告げがあり、喜んだ人々はニコラオスに大主教就任を要請した。辞退していたニコラオスであったが、主の旨に逆らう事は出来ず、ニコラオスは大主教となった。 勤勉なニコラオスは大主教となった後、ますます勤労し人々のために務めた。優れた2名の司祭を選んで同労者とし、人々のために幸福を祈り、父の如くに人々を愛し、人々の嘆願や訴えを聞いて助け、冤罪を蒙る者や侮辱を受けている者のために弁護した。 このように教会を牧していたニコラオスであったが、このとき、安寧を保っていた教会が突如大迫害にさらされる事になった。ディオクレティアヌス帝およびガレリウス帝による迫害である。ニコラオスはこの迫害を恐れず、なおも伝道に努めたため捕えられて幽閉された。獄中でニコラオスは共に捕えられた囚人を励ました。 コンスタンティヌス帝の即位と共に迫害が止み、ニコラオスは大主教に復職した。 第1回ニカイア公会議では議論に激してアリウスを殴ったため破門されるが、キリストと神の母マリアが幻で現れ、ニコラオスの潔白を証したため、破門が解かれた。 ある時、フリギア郡で暴動が起きたため暴動鎮圧の為に海路送られた軍隊が、嵐を避けて停泊中、兵士達が船から出て略奪をはたらき流血の惨状となった。大主教ニコラオスはこれを聞き、直ぐに現場に行って軍を率いている三人の将軍にかけあい、兵士の暴行を鎮めた。
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