大迫害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/01 17:54 UTC 版)
ニコメディアはキリスト教徒に対するディオクレティアヌスの大迫害(英語版)の中心であった。この迫害はディオクレティアヌス帝と彼の副帝ガレリウスの下で行われた。303年2月23日、異教の祭典テルミナリア(英語版)の日、ディオクレティアヌスは新築されたニコメディアの教会を破壊し、聖書を焼き、宝石を没収するよう命じた。翌日、彼は『キリスト教徒に対する第一勅令(First Edict Against the Christians,)』を布告した。これは帝国全土の教会に対して同様の処置がとられるべきことを命じていた。 このニコメディア教会の破壊は市内でパニックを引き起こし、月の終わりには火災がディオクレティアヌスの宮殿の一部を破壊し、続いて16日後にも別の火災が発生した。火災の原因についての調査が行われたものの、公式に訴追されたグループはなかった。しかしガレリウスはキリスト教徒を罪有りとした。ガレリウスは2名の宮廷の宦官がキリスト教徒と共謀して火災を起こしたと主張し、この宦官たちの処刑を監督した。続いて303年4月の終わりまでさらに6人を処刑した。直後、ガレリウスはニコメディアが安全ではないと宣言し、この都市の死者をローマで晒し者にした。ディオクレティアヌスもまたすぐそれに続いた。
※この「大迫害」の解説は、「ニコメディア」の解説の一部です。
「大迫害」を含む「ニコメディア」の記事については、「ニコメディア」の概要を参照ください。
- 大迫害のページへのリンク