横浜植木会社試作場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 16:48 UTC 版)
幕末から始まった横浜港経由の日本産輸出百合根が欧州において高値で取引されていたことを背景に、明治期から第二次世界大戦前まで、横浜植木株式会社が農家に委託をする形で、主にアメリカへ輸出される園芸用鹿子百合の百合根栽培が旧戸塚区の畑作地帯で幅広く行われており、大正14年(1925年)には、同社の試作場が現在の踊場交番から県営汲沢団地入口交差点にかけての斜面に開設され、百合根梱包用土の採取に加え、植木の試作、研究、改良等が行われていた。その関係で、戦前には外国人が当地をよく訪れていたという。圃場のほかに温室が2棟あり、メロンやマスカットが栽培されていたほか、岡津道沿いの土地には高麗芝も植えられ小学生の遠足場所になっていた等の関係者による証言がある。 『戸塚郷土誌』には同社試作場の写真が掲載されており、温室も確認できる
※この「横浜植木会社試作場」の解説は、「汲沢」の解説の一部です。
「横浜植木会社試作場」を含む「汲沢」の記事については、「汲沢」の概要を参照ください。
- 横浜植木会社試作場のページへのリンク