小田原合戦と豊臣政権下とは? わかりやすく解説

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小田原合戦と豊臣政権下

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 13:00 UTC 版)

伊達政宗」の記事における「小田原合戦と豊臣政権下」の解説

天正17年11月後北条氏真田領へ侵攻した事により、豊臣氏により征伐が行われる事になった政宗は父・輝宗の時代から後北条氏同盟関係にあったため、秀吉と戦うべきか小田原に参陣すべきか、直前まで迷っていたという。 秀吉小田原攻囲小田原征伐)中である天正18年1590年5月に、豊臣配下浅野長政から小田原参陣を催促され政宗5月9日会津出立する米沢小国経て同盟国上杉景勝所領である越後国信濃国甲斐国経由して小田原至った秀吉の兵動員数考慮した政宗秀吉服属し、秀吉会津領を没収したものの、伊達家本領72万石おおむね家督相続時の所領)を安堵した。この時、遅参詰問に来た前田利家らに千利休指導受けたい申し出秀吉らを感嘆させたという。この行為秀吉派手好みの性格知って行い伝えられている。政宗秀吉服属してほどなく北条氏政・氏直親子は秀吉に降伏し、秀吉宇都宮城奥州仕置宇都宮仕置)を行った。ここに秀吉日本統一達成されたが、政宗会津領などを失い陸奥出羽のうち13郡、およそ72万石減封されている。この宇都宮の地において宗家筋にあたる中村時長接見したとされている。 翌天正19年1591年)には蒲生氏郷とともに葛西大崎一揆平定するが、政宗自身一揆煽動していたことが露見する。これは氏郷が「政宗書いたとされる一揆勢宛の書状入手したことに端を発するまた、京都では政宗から京都人質として差出し夫人偽者である、一揆勢が立て篭もる城には政宗の幟や旗が立てられているなどの噂が立ち、秀吉の耳にも届いていた。喚問され政宗上洛し、一揆扇動書状偽物である旨を秀吉弁明し許されるが、本拠地であった長井信夫伊達を含む6郡の代わりに一揆荒廃した葛西大崎13郡を与えられ米沢城72万石から玉造郡岩手沢城城名岩出山城変えた)へ58万石に減転封された。この頃秀吉から羽柴名字与えられ本拠岩出山城大崎氏旧領であった事から、政宗は「羽柴大崎侍従」と称した文禄2年1593年)、秀吉文禄の役従軍従軍時に政宗伊達家部隊あつらえさせた戦装束は非常に絢爛豪華なもので、上洛道中において巷間の噂となった。3千人もしくは1,500人の軍勢であったとの記録がある。他の軍勢通過する際、静かに見守っていた京都住民伊達勢の軍装見事さ歓声上げたという。これ以来派手な装い好み着こなす人を指して伊達者だてもの)」と呼ぶようになった伝えられる朝鮮半島では明との和平交渉中の日本軍による朝鮮南部沿岸築城に際して普請免除されていたにもかかわらず秀吉からの兵糧支給断って積極的に参加するなどして活躍した因みに政宗は、慶長の役には参加していない。 文禄2年以降浅野長政取次として伊達政宗豊臣政権取次ぎとなっていたが、文禄5年8月14日付の書状政宗長政態度我慢がならずに絶縁状送りつけて絶交宣言した秀吉早くから服属して五大老選ばれたような大名たちとは異なり政宗北条氏同盟して秀吉対立するなどし、ほぼ最後に服属した大名だった事から、豊臣政権重く用いられる事はなかった。 文禄4年1595年)、秀吉から謀反疑いかけられ関白豊臣秀次切腹した。秀次と親しかった政宗周辺緊迫した状況となり、この時母方従姉妹にあたる最上義光の娘・駒姫は、秀次の側室になるために上京したばかりであったが、秀次の妻子らと共に処刑されてしまう。政宗秀吉から謀反への関与疑われ伊予国への減転封命じられそうになったが、湯目景康中島宗求直訴甲斐もあって最終的に赦免された。ただし、在京重臣19名の連署で、政宗叛意疑われ場合には直ち隠居させ、家督を兵五郎(秀宗)に継がせる旨の誓約させられている。 秀吉死後政宗五大老徳川家康天下人であった秀吉遺言破り慶長4年1599年)、政宗長女五郎八姫家康の六男・松平忠輝を婚約させた。伝存基本史料典拠とする限り家康政宗はじめとする諸大名縁辺は、法度違反の私婚として、その是非を論ずる事はできないとする説もある。この問題決着罰則なしの和解になったことも、亡き秀吉代わる御意存在明らかにできないなど法の整備がされておらず、厳密に運用できなかったためである。家康縁辺問題違法な私婚とみなす通説は、一方的客観性欠ける。

※この「小田原合戦と豊臣政権下」の解説は、「伊達政宗」の解説の一部です。
「小田原合戦と豊臣政権下」を含む「伊達政宗」の記事については、「伊達政宗」の概要を参照ください。

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