小田原城奪取とは? わかりやすく解説

小田原城奪取

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:39 UTC 版)

北条早雲」の記事における「小田原城奪取」の解説

二本大きなの木を鼠が根本から食い倒し、やがて鼠は虎に変じる」という霊夢見たという話が『北条記』に書かれている二本とは関東管領山内上杉家扇谷上杉家、鼠とは子の年生まれの宗瑞のことである。 明応3年1494年)、関東では山内上杉家扇谷上杉家抗争長享の乱)が再燃し扇谷家の上定正は宗瑞に援軍依頼扇谷側として宗瑞は荒川山内家当主関東管領上杉顕定の軍と対峙するが、定正が落馬して死去したことにより、撤兵した。 扇谷家相模三浦氏大森氏支柱としていたが、この年それぞれの当主である扇谷定正三浦時高大森氏頼の3人が死去した。 宗瑞は茶々丸討伐捜索大義名分として、明応4年1495年)に甲斐攻め込み甲斐守護武田信縄戦っている。同年9月相模小田原大森藤頼討ち小田原城奪取した。 『北条記によれば、宗瑞は大森藤頼にたびたび進物を贈るようになり、最初警戒していた頼も心を許して親しく歓談するようになったある日、宗瑞は箱根山での鹿狩りのために領内勢子入れさせて欲しいと願い頼は快く許したその夜千頭牛の角松明を灯した宗瑞率い伊勢氏の兵が小田原城迫り勢子扮して背後箱根山伏せていた兵たちが鬨の声上げて火を放つ数万の兵が攻め寄せてきたと、おびえた小田原城大混乱になり、頼は命からがら逃げ出して易々と小田原城手に入れたという。典型的な城盗りの物語で、似たような話は織田信秀那古野城奪取尼子経久月山富田城奪取にもあり、どこまで真実か分らない。金子浩之は、土石流を「牛」になぞらえた伝承があるという笹本正治の説を元に1495年起きた明応地震津波乗じて小田原城攻めた結果津波が「牛」と呼ばれたようになったではないか推測している。あるいは火牛の計中国戦国時代、斉の将軍田単用いた戦術で、教養を持つ知識層には知られていた可能性があり、これが事実用いられたか、武勇伝作り利用されたと考えることもできる。 この小田原城奪取は明応4年1495年9月とされているが、史料によって年月異なる。黒田基樹は、明応5年1496年)に山内家小田原城思われる要害攻撃し山内顕定書状扇谷家守備側として大森藤頼と宗瑞の弟弥二郎の名が見られることを根拠年次疑問呈しそれ以降のことではないかとしている。『小田原市史』で小田原城奪取の件を執筆した佐藤博信黒田同様の見解を採るとともに、子の幻庵が大森氏出身の海実から箱根権現別当地位譲られたことや享徳の乱の頃(頼の父とされる氏頼の時代)に大森氏内紛があったことを指摘し伊勢氏進出もこの大森氏内情乗じたものと推定している。 また、明応10年3月28日文亀元年/1501年)に宗瑞が小田原城にあった伊豆山神社所有地を自領の1ヶ交換した文書残されており、この時点では伊勢氏小田原城を既に領有していたとみられている。 小田原城奪取など宗瑞の一連の行動茶々丸討伐という目的だけでなく、自らの勢力範囲拡大しようとする意図もあったと見られていた。だが近年の研究では義澄-細川政元-今川氏親-宗瑞の陣営と、足利義稙-大内政弘-足利茶々丸-武田信縄-上杉顕定陣営、即ち明応の政変による対立構図の中での軍事行動であることが明らかになってきている。旧来の説では同じ扇谷方の大森氏を宗瑞が騙し討ちしたとされるが、近年の研究ではこの小田原城奪取も大森藤頼山内上杉氏寝返った為のものと考えられている。 明応8年1498年)、宗瑞は甲斐茶々丸捕捉し殺害することに成功した茶々丸討った場所については、伊豆国の深根城とする説もある。 今川氏武将として活動続き文亀年間1501年 - 1504年)には三河にまで進んでいる。『柳営秘鑑』によると文亀元年1501年9月、岩付(岩津)城(愛知県岡崎市岩津町)下にて松平長親徳川家康高祖父)と戦って敗北し三河侵攻失敗終わっている。松平方の先陣酒井氏本多氏大久保氏働きがあったという。ただし、徳川実紀では永正3年1506年8月20日こととされている。

※この「小田原城奪取」の解説は、「北条早雲」の解説の一部です。
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