小田原城の戦いとは? わかりやすく解説

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小田原城の戦い

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小田原城の戦い


小田原城の戦い

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上杉謙信」の記事における「小田原城の戦い」の解説

永禄2年1559年5月再度上洛して正親町天皇将軍足利義輝拝謁する。このとき、義輝から管領並の待遇与えられた(上杉の七免許)。室町幕府記録後鑑』(江戸時代末期江戸幕府編纂)には、『関東管領記』『関東兵乱記(相州兵乱記)』『春日山日記上杉軍記)』を出典として掲載されている。また、内裏修理資金献上したともいうが、朝廷記録である『御湯殿上日記』には、永禄3年6月18日に、越後長尾景虎)が内裡修理の任を請う、という記述があるだけで、年次記述内容違いがある。『言継卿記』には、永禄2年5月24日越後国名河(長尾上洛云々武家御相御免、1,500人。という記述であり、上杉家譜などの兵5,000という記述異なる。 なお、天野忠幸この年景虎だけではなく織田信長斎藤義龍急遽上洛していることに注目している。この前年である永禄元年足利義輝三好長慶戦い長慶正親町天皇支持取り付けて有利な形で和睦しており、曲りなりにも存続してきた室町将軍頂点とする秩序大きな打撃受けたこのため義輝との関係を維持することで権威保ってきた諸大名動揺し状況確かめるために上洛踏み切ったではないか、と推測している。 景虎義輝との関係は親密なものであったが、義輝幕府重臣である大舘晴光派遣して長尾武田北条三者和睦斡旋し三好長慶勢力駆逐するために協力するよう説得した際には、三者考え方違い大きく実現しなかった。 永禄3年1560年3月越中国椎名康胤神保長職攻められ景虎支援要請する。これを受け景虎初め越中出陣長職居城富山城落城させる。さらに長職逃げ延び増山城攻め落して逃亡させ、康胤を援けた。 5月桶狭間の戦いにより甲相駿三国同盟一つ今川家崩れた機会乗じ、ついに景虎北条氏康討伐するため越後国から関東向けて出陣三国峠越える。上野国入った景虎は、長野業正らの支援を受けながら小川城名胡桃城明間城、沼田城岩下城白井城那波城、厩橋城など北条方の諸城攻略厩橋城関東における拠点とし、この城で越年したこの間関東諸将に対して北条討伐号令下し飛ばして参陣を求めた景虎攻勢見た関東諸将は、景虎の下へ結集、兵の数は増大した年が明けると、景虎は自ら軍の指揮執り上野国から武蔵国進撃深谷城忍城羽生城等を支配下治めつつ、さらに氏康の居城小田原城目指し相模国にまで侵攻2月には鎌倉落とした。氏康は、総大将武略優れ景虎であるため、野戦は不利と判断相模小田原城玉縄城武蔵滝山城河越城などへ退却し篭城策をとる。 永禄4年1561年3月景虎関東管領上杉憲政擁して宇都宮広綱佐竹義昭小山秀綱里見義弘小田氏治那須資胤太田資正三田綱秀成田長泰ら旧上杉家家臣団中心とする10万余の軍で、小田原城はじめとする諸城包囲攻撃開始した(小田原城の戦い)。小田原城蓮池門へ突入するなど攻勢をかけ、籠城する氏康を追い込む。 また小田原へ向かう途上には、関東公方在所当時関東中心目されていた古河御所制圧し北条氏に擁された足利義氏放逐のうえ足利藤氏替り古河御所内に迎え入れた小田原城包囲はしたものの、氏康と同盟を結ぶ武田信玄川中島軍事行動起こす気配見せ景虎背後牽制景虎関東で氏康と戦っている間に、川中島海津城を完成させてこれを前線基地とし、信濃善光寺平における勢力圏拡大させた。こうした情勢の中、長期亘る出兵維持できない佐竹義昭らが撤兵要求無断で陣を引き払うなどした。このため景虎は、北条氏本拠地小田原城にまで攻め入りながら、これを落城させるには至らず1ヶ月にも及ぶ包囲の後、鎌倉に兵を引いたこの後越後帰還途上4月武蔵国中原押さえ要衝松山城攻撃し北条方の城主上田朝直抗戦を受けるも、これを落城させる(松山城戦い)。松山城には城将として上杉憲勝残し厩橋城には城代義弟長尾謙忠を置いて帰国した

※この「小田原城の戦い」の解説は、「上杉謙信」の解説の一部です。
「小田原城の戦い」を含む「上杉謙信」の記事については、「上杉謙信」の概要を参照ください。

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