甲相駿三国同盟の成立とは? わかりやすく解説

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甲相駿三国同盟の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 14:29 UTC 版)

甲相同盟」の記事における「甲相駿三国同盟の成立」の解説

天文14年1545年)の第2次河東一乱信玄一時義元と結び氏康と対陣するも、今川北条間の和睦仲裁して両家大きな貸し」を作った。そしてこれによって関東転戦できる状況得た氏康は、河越城の戦い大逆転勝利を飾る。後年さらに三河における織田氏との対立問題抱え義元加えて三家婚姻関係を結び直し攻守同盟として機能する甲相駿三国同盟発展させ、甲相同盟はその一角となった信玄三国同盟背景信濃侵攻本格化させ、北信諸族を後援する越後長尾景虎(後の上謙信)との対決傾向強め数次にわたる甲越対決川中島の戦い)を展開する。また氏康は北関東侵攻において、関東管領の上憲政庇護し山内上杉家関東管領継承することになる謙信対立することになった共通の敵である上杉氏長尾氏)に対し甲相同盟相互に出兵要請を行うなど軍事同盟として有効に機能しており、謙信二正面作戦余儀なくされた。 永禄3年1560年)、上杉謙信後北条氏小田原城の戦い (1560年)にて小田原城包囲する武田信玄甲相同盟後北条氏要請に応じて信濃出兵上杉謙信本国脅かした。これを受けて上杉謙信小田原包囲解いて川中島善光寺出兵した。

※この「甲相駿三国同盟の成立」の解説は、「甲相同盟」の解説の一部です。
「甲相駿三国同盟の成立」を含む「甲相同盟」の記事については、「甲相同盟」の概要を参照ください。

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