桧平の合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 01:35 UTC 版)
永禄3年(1560年)、上杉謙信が関東に攻め込む(小田原城の戦い (1560年))。 永禄3年(1560年)、国峯城が小幡憲重・小幡信実父子不在時に長野業政方の小幡景定により乗っ取られる。 永禄3年(1560年)、上杉謙信の関東侵攻に乗じて、長野業政方の小幡景定(図書介)は砥沢城(群馬県南牧村)を攻略すべく出兵。砥沢城の小幡信実(小幡憲重の子)が武田信玄に救援要請。それを受けて武田信玄は信州より飯富虎昌、小山田信義を救援に向かわせた。常住寺(群馬県甘楽郡下仁田町)付近で戦闘があり、その後武田氏方は糧道を絶たれ撤兵する。
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