小田原合戦から最期とは? わかりやすく解説

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小田原合戦から最期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 03:18 UTC 版)

北条氏直」の記事における「小田原合戦から最期」の解説

家康同盟結んだ後、氏直は下野常陸方面侵攻し勢力拡大し佐竹義重宇都宮国綱結城晴朝太田資正らを圧迫した。しかし中央信長死後、その重臣だった豊臣秀吉台頭し関東惣無事令発令され私戦禁止されたため、氏直は秀吉との戦い意識して天正15年1587年)から軍備増強務めた一方で秀吉実力認識していたようであり、天正16年1588年春に家康仲介受けて8月叔父北条氏規上洛させて秀吉との交渉臨んだ。 なお、父や叔父北条氏照強硬派が氏直・氏規ら穏健派対立したとされているが、上野沼田城受取り後の氏政は上洛前向きであることが各種書状で明らかとなっているため、氏政が強硬派とは一概に決めつけることはできないまた、氏規が上洛した直後に氏政が政務一切口出ししなくなったことが確認される。 しかし天正17年1589年)の秀吉沼田裁定による沼田城受取後に、猪俣邦憲による真田昌幸支城名胡桃城奪取事件起きて、これが惣無事令違反であるとして、秀吉との関係事実上破綻した。このことについて、氏直は名胡桃城北条乗っ取ったではなく、既に真田返還していることと、この件について真田方の名胡桃城主と思われる中山書付進上するので真理究明してほしい旨を、秀吉側近津田盛月富田一白に対して弁明するとともに家康に対して同様に執り成し依頼した。ところが家康秀吉から小田原征伐に関する軍議出席するよう求められたため、既に上洛しており、家康への依頼が実を結ぶことはなかった。 天正18年1590年)から秀吉による小田原征伐始まった。氏直はこれに対して領国内に動員令をかけるとともに小田原城はじめとする各支城を修築し、さらに野戦場合想定して3月箱根屏風山等の陣場巡検した。しかし山中城落城により結局小田原城籠城することになる。籠城4月から3カ月及んだが、秀吉大軍による小田原城の完全包囲水軍による封鎖支城陥落などに加え重臣松田憲秀庶子笠原政晴秀吉内応ようとした(氏直が事前に政晴を成敗した)ことなどから、7月1日には和議を結ぶことを決意し5日秀吉方の武将滝川雄利陣所赴いて、氏直自身切腹することにより将兵助命請い秀吉に降伏した。 しかしながら秀吉は氏直の申出について感じ入り神妙とし、家康の婿であったこともあり助命された。他方、氏政・氏照及び宿老大道寺政繁松田憲秀切腹命じられ11日に氏政・氏照が切腹となった12日に氏直は紀伊国高野山登ることに決まり21日太田氏房千葉直重北条直定北条氏規北条氏忠北条氏隆北条氏光等の一門及び松田直秀大道寺直繁山角定勝・山角直繁・安藤広・遠山直吉・北条氏資(高橋種資)・山上久忠・梶原景宗内藤直行宮城泰業等の家臣30余名伴って小田原出立し8月12日高野山到着したその後高室院にて謹慎生活送った以後見性斎」と称す天正19年1591年1月から氏直は、冨田一白津田盛月通して家康口利き依頼するなど赦免活動開始し2月には秀吉から家康赦免通知された。5月上旬には大坂で旧織田信雄邸を与えられ8月19日には秀吉対面し正式に赦免河内及び関東において1万石を与えられ豊臣大名として復活した。さらに小田原居住していた督姫27日大坂到着し家臣への知行宛行謹慎中の借財整理をおこなっていたが、11月4日大坂病死した。多聞院日記によると死因疱瘡記述されている。享年30。氏直の死後従弟で氏規の嫡子である北条氏盛が氏直の名跡遺領の内4,000石を相続し慶長3年1598年)に氏規の跡を継いで1万1千石大名となり、北条宗家河内狭山藩主として幕末まで存続した。 氏直には娘が2人いたが、長女夭折次女池田利隆許婚となった慶長7年1602年)に17歳病死している。

※この「小田原合戦から最期」の解説は、「北条氏直」の解説の一部です。
「小田原合戦から最期」を含む「北条氏直」の記事については、「北条氏直」の概要を参照ください。

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