小橋家の人々とは? わかりやすく解説

小橋家の人々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 17:29 UTC 版)

とと姉ちゃん」の記事における「小橋家の人々」の解説

小橋 竹蔵(こはし たけぞう) 演 - 西島秀俊 常子の父。浜松染物工場遠州浜染工」の営業部長幼い頃両親亡くし、弟・鉄郎と共に親戚の家をたらい回しにされた過去があり、しかも当時はどこの家庭父親威張っているのが普通だったために「父親威張っている家庭幸せそうに見えなかった」と考えて家族に対して威厳見せず、「相手子供でも1人人間として対等に接すること」と「当たり前の家族の生活を大事にすること」を心がけている。 他の家庭父親とは違って声を荒らげることはなく、穏やかに諭す家庭では敬語使っている。 1930年昭和5年)の年末結核患い翌年春に息を引き取る大橋鎭子の父・大橋武雄モデル生前君子滝子不仲を気にかけて家族内緒青柳商店訪れたり、滝子小橋家様子報告する手紙送り続けていた。 小橋 君子(こはし きみこ) 演 - 木村多江幼少期宮野叶愛常子の母。旧姓青柳おっとりしているが努力家家族を守る強い意志持っている長女常子と同様、名前の由来百人一首光孝天皇の句から採られていると思われていたが、藤原義孝の句から採られていることが隈井の証言により判明する。 夫・竹蔵亡き後遠州浜染工で検反の仕事始め同社からの遺族支援金貯金切り崩して糊口凌いでいくが、支援金打ち切り宣告され滝子頼み込み一家深川実家帰郷する。しかし、子供自身進路決めさせたい意向反す滝子と再び喧嘩となり、娘たち連れて家出し隣家の「森田屋」に住込み女中として働く。森田屋が高崎移転後失業し再び娘たち実家に戻るが、程なく滝子店舗住居手放すことを決め1942年昭和17年)隈井が手配した目黒借家娘たちとともに移る。 終戦直後家計のため美子内職始めたが、常子出版社立ち上げ後は専業主婦戻って家庭を守る。 花山との初対面時には花山大工勘違いして自宅招き入れた1964年昭和39年)癌に罹患し翌年静かに息を引き取る大橋鎭子の母・大橋久子モデル小橋 鞠子(こはし まりこ) → 水田 鞠子みずた まりこ) 演 - 相楽樹幼少期須田琥珀常子長妹次女慎重な性格名前の由来生まれたばかりの頃、鞠の様に丸い容姿だったことから。父・竹蔵から「餅子(もちこ)」と名付けられそうになっていた。 浜松高等女学校3年時には、運動は苦手ながら成績秀で級友らからも一目置かれるうになる常子同じく1935年昭和10年)の秋に東京高等女学校編入する4年時に、東堂先生教え受けた常子勧めで「青鞜」を読んだことや、実業家目指し奮闘する常子の姿を見たことで、家庭の事情諦めていた、大学文学部進学し作家になる希望強め高等女学校卒業後は帝都女子大学進学。しかし森田屋の移転による母の失業や、時勢滝子体調不良青柳商店経営が傾いたことから、大学卒業後は工場事務職就職終戦後引揚者に職を奪われ失業し常子立ち上げた出版社記者務める。一方常子出版社立ち上げの際に闇市出会った水田2年交際紆余曲折経て結婚退職する大橋鎭子長妹大橋晴子モデル小橋 美子(こはし よしこ) → 南 美子(みなみ よしこ) 演 - 杉咲花幼少期川上凛子少女期根岸姫奈常子末妹三女ちゃっかり者でひょうきんな性格名前の由来は、生まれたばかりの時に見た朝焼け美しかったことから。 尋常小学校4年時は、父を含めた家族の話で盛り上がる級友たちの話について行けず学校内暗く孤立するうになるが、地域運動会常子鞠子二人三脚出場したことがきっかけで改善していく。 深川転居し森田屋で生活を始めてからは、君子目を盗んで友達連れて滝子におやつをねだるようになるが、やがて君子配慮した滝子に距離を置かれ友達離れていく。忙しい母や姉にも相手にされず、独り川岸遊び転落して溺れるが、常子発見救助され一命取り留める。そして、この件が君子滝子和解きっかけ1つになる1938年昭和13年)、姉たちの母校高等女学校進学し竹蔵似のたくましさを持つ少女成長する勉強そこそこだが裁縫が得意で、青柳商店繕い物引き受けるようになる高等女学校卒業後は勤労奉仕軍服縫製工場で働く。終戦後常子立ち上げた出版社服飾調査担当務める。 1958年昭和33年)、兼ねてより交際していた南の求婚を受け結婚長女真由美出産後仕事続ける。 1988年昭和63年)時では、眼鏡着用している。 大橋鎭子末妹大橋芳子モデル小橋 鉄郎(こはし てつろう) 演 - 向井理 常子父方叔父。兄・竹蔵とは反対にいい加減で飽きっぽく調子者性格一攫千金狙って職を渡り放浪しているが、いずれも失敗している。そんな性質から不吉もたらすことが多いために小橋母子からは訪問疎まれているが、夜中医者呼びに行く常子鞠子付き添ったり、戦時中には小橋家同居し女所帯を守るなど、頼りになる一面見せることもある。 終戦後は、家を支えるために事業立ち上げることを常子勧め、彼女が出版社創立するきっかけ1つになる小橋姉妹女性向け雑誌第1号発行して間もなく小橋宅を出て新潟旅立つハタハタ漁を始めるも失敗し共同事業者の男性家業である魚沼の米農業継ぎ成功収めた1958年昭和33年)、新聞常子出版事業成功知り、妻・幸子連れて小橋家訪れる。 小橋 幸子(こはし さちこ) 演 - 岩崎ひろみ 鉄郎の妻。兄の事業失敗し鉄郎助けてもらう。

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