専門学校昇格と晩年とは? わかりやすく解説

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専門学校昇格と晩年(1926-1941)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:19 UTC 版)

二階堂トクヨ」の記事における「専門学校昇格と晩年(1926-1941)」の解説

日本女子体育専門学校 (旧制)#専門学校への昇格」も参照 1926年大正15年3月24日日本女子体育専門学校体専)に昇格改称した私立女子専門学校としては日本20校目であり、初の女子体育専門学校であったこの頃のトクヨは忙しさのあまり居留守使ったり、黒髪を切り丸坊主になったりしたエピソード関係者の間で知られている。震災被害学校移転資金繰り窮し学生からも借金をする羽目になった文部省審査のために来校した時には慶応義塾大学東京女子体操音楽学校(現・東京女子体育短期大学/東京女子体育大学)から図書備品借りて審査をやり過ごした体専時代のトクヨの学校経営は、思い強さから「専制的」と見られ、トクヨと相いれず学校去った教師少なくなかった11年ほど体専講師務めた今村嘉雄は、晩年のトクヨを「よい軍国婆さん」と表現した社会戦争へ向かっていったことと戦前体育が軍と深い関係があったこともあり、トクヨは青年将校愛し将校の側もそれを分かっていて軍事演習帰り兵隊連れてたびたび来校した。その際には授業中断して湯茶接待したり、軍人に見せるために学生ダンスさせたりしていたという。トクヨの日々発言雑誌『ちから』の記事国家主義国粋主義的な色味帯びていき、「日本のほこり」のために女子スポーツ選手輩出しようと考えるようになっていった。 こうした中でトクヨは学校経営実務名誉校長二宮右衛門任せ校内引きこもり病気がちとなった。弟の真寿に「自分なんぞは今に誰からも相手にされなくなって電信柱の蔭にひとりでうずくまっているかもしれない」という苦し胸の内明かした1933年昭和8年)にトクヨとの面会許され記者によると、当時のトクヨは火鉢で餅を焼きながら来客応対し、3坪ほどの部屋書斎校長室としていた。室内洋風で奥には「正義無敵」の額があり、トクヨはロイド眼鏡をかけ、和装していた。語尾の「〜よ」を強調する話し方をし、楽しみは入浴睡眠・月1回歌舞伎鑑賞であった1937年昭和12年)、佐々木等戸倉ハルらの尽力東京女高師体育科設立された。トクヨはこれを喜び両手いっぱい花束抱えて下村寿一校長訪問し、「限りなき喜びです」と挨拶したその後桜蔭会東京女高師同窓会)員とお茶しながら座談会行い、「これから体専東京女高師で)競争しましょう」と発言し大笑いした久々母校訪問とあって夕方まで校内滞在し校内一巡して満足げ帰宅した1941年昭和16年4月7日体専入学式の朝に倒れ東京海軍共済組合病院(現・東京共済病院)に入院、後に本人希望慶應義塾大学病院転院した病名胃ガンで、ほかに糖尿病白内障などの持病があった。4月14日にはトクヨの妹・とみの娘である美喜子を養女にとった。入院中、体専生徒卒業生看病見舞い輸血申し出たが、一切断っている。同年7月17日午前1時40分に死去60歳であった当日稀に見るような暑さであったという。生涯独身であった。 「ゆかり」と題した手帳には、次の言葉互いに何の脈絡もなく並んでおり、死の間際のトクヨの心境映し出している。( / は改行) 「 馬鹿を見るな / 愚痴をこぼすな / 時は解決 / 勝て!! / 償へ / 大摂理に安んぜよ / 自適楽天 / 大御手の身がはり / 時は勝利 / 大慈の手 / 報償深慮自適浄土 / 外に無し ただ羽根布団わが一生教育学者の上八郎はこれを「女子体育という特殊な未開領域生涯捧げた明治女性面目語っているように思う」と評した

※この「専門学校昇格と晩年(1926-1941)」の解説は、「二階堂トクヨ」の解説の一部です。
「専門学校昇格と晩年(1926-1941)」を含む「二階堂トクヨ」の記事については、「二階堂トクヨ」の概要を参照ください。

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