専門学校令下の明治大学
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1903年(明治36年)8月 - 専門学校令により、明治大学と改称。出版部講法会を明治大学出版部と改称(1952年廃止)。 10月18日 - 雄弁会発足(初代会長・鵜沢総明)。 10月23日 - 神田錦町の元神田中学校校舎を購入、高等予科を移転。 10月24日 - 岸本辰雄、主に新入生向けの講話会で「明治大学ノ主義」と題する演説を行う。 10月 - 図書閲覧室を拡張して図書館とする。 12月 - 校友実業会総会で商科設置を可決。 1904年(明治37年)5月 - 学則改正により法学部・政学部・文学部・商学部を設置、各学部に本科・専門科を設置。 7月 - 名誉講師制を設ける(西園寺公望・名村泰蔵・ボアソナードを推薦)。 9月 - 経緯学堂開校(錦町分校内、1910年閉校)。 12月 - 甲武鉄道御茶ノ水駅開業。 1905年(明治38年)4月 - 簡易商業学校開校(錦町分校内、1923年保善商業学校と合併して閉校)。 7月 - 大学組織を財団法人に改める。 11月 - 分校内において文学研究会開催。 1906年(明治39年)2月 - 学友会が設立される。 9月 - 文学部授業開始(1908年学生募集停止)。 1907年(明治40年)4月 - 明治高等予備校開校(1927年廃止)。 1908年(明治41年)3月 - 特別校外生制度を設ける。 4月 - ボアソナード文庫を開設(関東大震災で焼失)。 7月 - 学部内にあった専門科が独立し、本科を大学部、専門科を専門部と改称。 1909年(明治42年)5月 - 東京高商申酉事件に関する学生大会を開催。 8月 - 商科が錦町分校に移転。 1910年(明治43年)4月 - 新校舎建設用地として旧小松宮邸跡を借地する(現在の駿河台キャンパスA地区)。 9月 - 新校舎で授業開始。 11月 - 柏木運動場開設、野球部創部。 1911年(明治44年)9月 - 山口高商を集団退学した清国人留学生45名が明大商科に転入する(~12月)。 10月 - 初代記念館竣工。校舎新築落成移転式を兼ねて創立30周年記念式を挙行。 1912年(明治45年/大正元年)3月 - 初代記念館焼失。 4月 - 創立者岸本辰雄逝去。明治中学校開校。 6月 - 錦町分校を廃止。 7月 - 政科を政治経済科と改称、各科に教頭を置く。 12月 - 2代目記念館竣工。 1913年(大正2年)2月 - 野球部、第1回東洋オリンピック大会に出場して全勝。 12月 - 留日支那学生高等予備学校設立(1916年廃止)。 1914年(大正3年)10月 - 三大学(早慶明)野球リーグを結成(のちに法、立、帝が加わり六大学となる)。 1915年(大正4年)4月 - 校旗を制定、スクールカラーとして深紫を採用。 1916年(大正5年)5月 - 駒沢運動場を開設(1930年明治薬学専門学校に売却)。 9月 - 小松宮邸跡地を購入(登記完済)。 1917年(大正6年) - 政治経済科の雄弁部学生により青年白熱党結成。 1918年(大正7年)4月 - 予科の修業年限を2年に延長。研究生制度による留学生派遣開始。 5月 - 各科に主任を設ける。 12月 - 協議員会設置(大学令による昇格準備のため)。 1919年(大正8年)2月 - 寄附行為改正により商議員を20名から35名に増員する。 10月 - 大学設立認可申請書を提出(私学では慶應、早稲田、同志社、法政に次いで5番目)。 12月 - 原田熊雄男爵邸地2,000坪を購入(現在の猿楽町校舎)。
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