初代記念館
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正式名称は「第八号館」。1911年(明治44年)10月竣工。煉瓦造2階建、間口13間、奥行9間、建坪216坪、建築費2万7,500円。西洋切妻を中心に左右に小さいドームを配したデザイン。 1階 - 玄関、器械標本室、商品標本室、会食所、客室 2階 - 記念大講堂、控室 初代記念館 明治大学創立30周年記念式典(1911年10月) 1912年(明治45年)3月5日深夜の火災によって焼失。岸本辰雄校長は病を押して来校、焼け跡の始末や記念館再建を指示した。しかし、再建された記念館を見ることなく4月4日に急死した。 初代記念館が存在した期間は半年ほどに過ぎなかったが、学外イベントでも使用実績はあり、火災当日(3月5日)も東京市教育会の講演会が行われていた。
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