初代航空工廠長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 14:57 UTC 版)
海軍航空の技術、開発部門は英米などの模倣が主で、自立を迫られていた。海軍航空本部本部長安東昌喬中将、同技術部長山本五十六少将、同総務部長前原謙治少将らは従来から航空技術の自立の必要性を唱えていたが、宮坂助次郎少将が航空技術開発を総合的に指導する機関の必要性を具申して、航空工廠が設置されることとなった。枝原はその設立準備委員長となり、次いで初代の海軍航空工廠(後の海軍技術廠)長に就任した。発足した航空工廠から発せられた七試計画が、後の零式戦闘機につながっていく。
※この「初代航空工廠長」の解説は、「枝原百合一」の解説の一部です。
「初代航空工廠長」を含む「枝原百合一」の記事については、「枝原百合一」の概要を参照ください。
- 初代航空工廠長のページへのリンク