初代総長人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 06:34 UTC 版)
初代総長の人事については、地元の大阪側では国立総合大学設立の推進運動の中心で合った長三郎の就任を強く要望したが、文部省側は少し前まで文部次官だった粟屋謙を主張して譲らなかった。間にたった文相田中隆三は理化学研究所から推薦のあった長岡半太郎に承諾を頼んだ。半太郎はしばらくの間躊躇していたが、後任を長三郎とすること、なるべく早く退任することを条件として承諾した。実際に半太郎は当初より就任期間を短くして退任した。
※この「初代総長人事」の解説は、「楠本長三郎」の解説の一部です。
「初代総長人事」を含む「楠本長三郎」の記事については、「楠本長三郎」の概要を参照ください。
- 初代総長人事のページへのリンク