2代目記念館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:00 UTC 版)
1912年(大正元年)12月竣工。建築費は焼失した初代記念館の保険金と大学の基本金の一部から賄われた。円形ドームを中心に左右に三角錐を突起させたデザイン。「旧館に比して12余坪を増加し、且つ失火に鑑みて設計に変更を行つた」とされる。 2代目記念館 大山郁夫時局講演会(1919年頃) 2代目記念館は大正デモクラシーの時代とともにあり、社会運動家大山郁夫の時局講演会、「白熱党」(雄弁部学生により結成された団体)の演説会、植原・笹川事件における警官隊との乱闘など、明大史を彩るエピソードに事欠かない。 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で焼失。大学は夏期休暇中だったが、在京学生を中心にして瓦礫の除去作業が行われ、野球部をはじめとする各種サークル・団体は復興資金集めのために全国各地を奔走した。
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