2代目館舎時代(2021-)
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「紀宝町立図書館」の記事における「2代目館舎時代(2021-)」の解説
紀宝町は神内保健センターにあった紀宝町役場健康づくり推進課が役場本庁舎に移転したことや、図書館が急坂の途中にあることなどを受け、1億6170万円をかけて神内保健センターを改修し、1階部分に図書館を移転することを決定した。2021年(令和3年)1月時点では建物の改修工事はほぼ完了し、図書館では蔵書整理が進められた。 2021年(令和3年)4月2日、図書館と子育て支援センターの複合施設である紀宝 はぐくみの森に紀宝町立図書館が開館した。
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2代目館舎時代(1998-)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 18:24 UTC 版)
「筑西市立図書館」の記事における「2代目館舎時代(1998-)」の解説
市立図書館は老朽化が進行したため、中央公民館・図書館等建設調査委員会を1991年(平成3年)に立ち上げて新図書館の建設計画を進め、1996年(平成8年)9月5日に起工式を挙行し鈴木良一市長らが鍬入れを行った。設計は三上建築事務所の三上清一、施工は戸田建設・ヨコタ特定建設工事共同企業体が担当した。総事業費27億円をかけた建設工事は1998年(平成10年)3月に完了し、5月21日には約220人が出席して完成記念式典が開かれた。正式な開館は5月24日のことで、浦和市立図書館(現・さいたま市立北浦和図書館)で館長を務めた経験のある竹内紀吉の講演会を記念行事として開催した。その後も記念行事は続き、アメリカ合衆国の映画『リバー・ランズ・スルー・イット』の上映会やNHK交響楽団による弦楽四重奏の演奏会があった。延床面積は茨城県立図書館を除く茨城県の公立図書館で最大であり、31万6千冊を収蔵可能な施設として15万冊の蔵書をもっての開館であった。新館開館と同時に、市民以外の真壁郡、結城市、岩瀬町の住民にも貸し出すという県内の図書館では画期的な取り組みを行った。 新館の開館効果はすさまじく、開館からわずか30日で旧館時代の年間貸出冊数を突破し、新設された集会室には予約が殺到したという。この勢いは一過性のものではなく、年間入館者数は毎年前年を上回るという好成績を収めた。また2000年(平成12年)10月25日には優れた図書館建築を表彰する日本図書館協会建築賞を受賞した。2003年(平成15年)3月、下館駅にあったステーションライブラリーを閉鎖した。 2005年(平成17年)3月28日、市町村合併に伴い筑西市立中央図書館に改称する。2008年(平成20年)には筑西市が立正大学と連携して「ちくせい市民大学」と題した同学教授陣による市民講座を中央図書館で11回開催した。2010年(平成22年)4月1日に市内の図書館システムの統合が行われ、図書利用カードの統一が実現した。2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震の際には約50人の利用者と13人の職員がおり、全利用者を館外へ避難誘導し、直ちに臨時閉館とした。空調機器の水濡れ、駐車場のひび割れ、床タイルの破損はあったものの修繕工事の必要はなく、ライフラインの寸断もなく、明野図書館と比較すると被害は軽微であった。とは言え15万冊に及ぶ図書の落下があり、図書館の再開は3月29日までかかった。再開後は震災関連資料の展示と貸し出しを行い、照明の間引きなどで節電に協力した。市民らからは、東北地方など被災地方面を扱った旅行ガイドブックが寄贈された。 2014年(平成26年)4月1日に指定管理者による管理運営に移行した。2015年(平成27年)10月31日には一般利用者が使用できる本の消毒機を茨城県の公立図書館で初めて導入、2017年(平成29年)7月5日より、「育児コンシェルジュ」のサービスを開始した。
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