専門学校時期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 07:46 UTC 版)
「東亜同文書院大学 (旧制)」の記事における「専門学校時期」の解説
1921年(大正10年)- 政治科廃止。専門学校昇格。 1922年(大正11年)- 農工科廃止。東京同文書院閉校。 1923年(大正12年)- 3月根津一院長退任。 1924年(大正13年)- タゴール来校。 1926年(大正15年)- 10月近衛文麿来校。 1927年(昭和2年)- 12月胡適特別講義。 1928年(昭和3年)- 11月日中学生同居許可。12月殷汝耕講演。 1929年(昭和4年)- 6月日犬養毅、頭山満講演。 1930年(昭和5年)- 9月中華学生部学生募集停止。11月学生ストライキ。12月第1次学生検挙事件(反戦ビラ配布事件)。 1931年(昭和6年)- 4月魯迅特別講義。 1932年(昭和7年)- 2月第1次上海事変のため長崎へ疎開。4月上海復帰。 1933年(昭和8年)- 3月第2次学生検挙事件。4月芳沢謙吉外務大臣講演。11月上海日本人倶楽部で「大旅行」学生撮影映画会。 1934年(昭和9年)- 中華学生部廃止。 1935年(昭和10年)- 11月校内に靖亜神社建立。 1937年(昭和12年)- 9月から学生志願通訳従軍始まる。 10月長崎仮校舎を設置。11月虹橋路校舎が不審火により焼失。 1938年(昭和13年)- 4月上海復帰、徐家匯海格路(ハイコーロ)臨時校舎設置。11月、財団法人東亜同文会の会長(近衛文麿)が外務大臣の有田八郎宛に大学設立趣意書を提出し大学昇格を申請。
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