虹橋路(ホンヂャオロ)校舎
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「東亜同文書院大学 (旧制)」の記事における「虹橋路(ホンヂャオロ)校舎」の解説
使用時期:1917年-1937年 所在地:上海徐家匯虹橋路北緯31度11分39.6秒 東経121度25分51.0秒 / 北緯31.194333度 東経121.430833度 / 31.194333; 121.430833 (東亜同文書院虹橋路校舎) この校舎は桑野藤三郎設計によるもので、竣工当初は約33,000平米、虹橋路北側の敷地に本館、教室棟、農工科研究実験室、南寮、北寮、食堂、学生倶楽部、浴場、医局があり、南側の敷地には教職員住宅3棟と倶楽部1棟があった。後に周辺の土地を購入して拡張し、運動場、中華学生部、図書館などを増設した。 1937年8月第2次上海事変の影響を受けて中国に接収され、同年11月3日から9日にかけて中国兵に放火され焼失した。
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