宗教と文化
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ナバテア王国の領域がエドム人の居住地であったためナバテア人はエドム人からの文化的影響を強く受けており、エドム人から教わった陶芸の技術を元に土器を作成するなどしていた事が明らかになっている。また、シリア南部やシナイ半島を勢力下に置いていたことからローマ帝国やハスモン朝と地理的に接しており、それらの国々の文化の影響も強く受けている。例えば初期のナバテア王国は彫刻などの造形技術を有していなかったが、ローマ文化の影響を受けた紀元前1世紀以降には神像などの彫刻が多数作られるようになっている。建築技術においてもアッシリアやヘレニズム文化などの影響を受けており、その美しさからペトラなどのナバテア王国時代の遺跡は現代でも観光名所となっている。ナバテア王国では権力の誇示のために壮大な岩窟墓を作成しており、その代表的なものにインディ・ジョーンズ/最後の聖戦に登場することでも有名なエル・カズネがある。そのような岩窟墓を含むナバテア王国の遺跡群はユネスコによって世界遺産に指定されている(ヨルダンのペトラおよびサウジアラビアのマダイン・サーレハ、シリアのボスラ)。 ナバテア人は宗教基盤として古代アラブ人の宗教観を持っており、主神としてオアシスの豊穣を司るドゥサレス(ナバテア語で「ドゥシャラ」)を信仰していた。ドゥシャラは「シャラ山の御方」という意味のナバテア語に由来し、山を神聖な物とする山岳信仰の系譜であると考えられている。また、ドゥシャラの神殿には崇拝の対象としてステラと呼ばれる石の柱が置かれており、石柱崇拝としての側面も有していた。その他、アッラートやマナート等のアラブで伝統的に信仰されていた神々や、クトゥバーという名のナバテア独自の神などが信仰されていた。紀元前1世紀頃になると、これらの神々はローマ文化に影響されてギリシャ神話の神々と習合されていった。また、世界交易の中継地であったことからエジプトなどとも交流があり、ペトラのエル・カズネにはエジプトのイシス神を象った彫刻も見られる。ストラボンの『地理誌』には、ナバテア人が宗教儀式として香木を焚いて太陽を祀っていたことが記されており、神殿の遺跡からも香を焚く台が発見されていることから、ナバテア王国の宗教儀式において香木が重要な役割を持っていたと考えられている。 砂漠の遊牧民には飲酒の習慣はなかったが、都市に定住するようになったナバテア人はワインを生産して頻繁に酒宴を行っていた。ナバテア王国における酒宴は宗教的な儀式と結び付けられ、13人1組で会食を行い酒は11杯以上飲んではならないなどの作法が定められていた。ペトラなどの遺跡ではこのような宴会用の施設が発見されている。
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宗教と文化
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異性結婚が行われる際、新郎やその家族が新婦やその家族から持参金を受け取ったり、逆に嫁償を支払ったり、またはその両方が交換される文化が存在する。西洋社会では持参金は新郎の家で新婦が暮らすにあたり家財や召使の整備に用いられたが、婚約が破棄された場合に女性側に返還されるための担保金の側面もある。婚姻が成立すると、持参金は夫の不可譲の資産となる。夫が妻より先に死亡した場合、妻は未亡人と呼ばれるようになり、その生活を支えるために夫の遺産の半分もしくは三分の一が寡婦産として支払われた。 男女が婚姻した証として、双方が結婚指輪をつける文化がある。どちらの手のどの指にはめるかは、地域や文化により異なる。
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