応答する神学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:55 UTC 版)
ティリッヒの体系は、相関関係の原理を軸として構築されている。彼は、宗教と文化、教会と社会、神学と哲学などの境界線上に立ちながら、それらを相関させ、両者の深い次元での統合を目指す。人は、聖書のメッセージを永遠の真理として、その中に閉じこもることもできる。しかし、ティリッヒは、人が現にある時代や状況の中で問われる問いに対して、キリスト教の真理によって答えることが神学の役目であり、さらに「哲学の問いと神学の答え」という関係はそこから生まれると説いた。 そして、それは彼が思想史の中で用いている概念を理解しておくと理解しやすい。かつて宗教が人々に対して強制的な力を行使していた時代があった。イエスやルターによる変革前の宗教者のことを考えればいい。このように、信仰が外部から強制されているような状態を他律(ヘテロノミー)と呼ぶ。他律は、独善的であり、人の自由を圧迫する。しかし、人は、それに対していつまでも服従していることはない。そこで、人間が自らの力によって立つ状態が自律(アウトノミー)である。自律は、理性に従い、個人の尊厳を掲げる。言うまでもなく近代から現代が自律の時代である。しかし、やがて理性と個の力を信じる自律は、孤独に陥り、生の意味や目的を見失ってしまう。つまり、自律的理性は、それだけでは生の意味を見つけることはできないのである。 そこで、他律と自律を乗り越え、最高の規範となるものは、神律(ドイツ語版、英語版)(セオノミー)である。神律とは、自己の有限性を自覚するとともに、自己の根底を透視し、そこに働く神的な力に従う状態である。神律は、他律のように外部から押し付けられたものではなく、自己の中から出たものであり、また自律のように孤独に彷徨い出ることもなく、自己を完成する。そのような神律に人を導くのが、ティリッヒの神学の目的である。人は、それ自身の内に生に対する究極の答えを持たない「大きな問い」である。その問いに対し、神学で答えることで「哲学の問いと神学の答え」という関係が成立する。
※この「応答する神学」の解説は、「パウル・ティリッヒ」の解説の一部です。
「応答する神学」を含む「パウル・ティリッヒ」の記事については、「パウル・ティリッヒ」の概要を参照ください。
- 応答する神学のページへのリンク