宗教と民俗とは? わかりやすく解説

宗教と民俗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 02:35 UTC 版)

ミャオ族」の記事における「宗教と民俗」の解説

ミャオ族多くすべてのものに霊魂生命宿る信じ、岩、山、川、泉などを崇拝する祖霊祖先祭祀怠らない毎年旧暦10月頃の卯日辰日年越しの日の年(ノンニャン)として祖先感謝する祭りを行う。男性蘆笙キー)を吹き女性華麗な飾り豪華な刺繍衣装をきて舞う。この時は、男女自由恋愛機会でもあり、ユーファンと呼ばれる掛け感情表現した貴州省黔東南香炉山で旧暦6月19日行われるチーピエ(山に登る)の祭りは有名で、沢山の若い男女が「歌垣」に集まる。また、黔東南では、13年一度大きな祖先祭祀であるノン・ニュウを父系氏族 (clan) が合同し行い大量水牛や豚を供犠して祖先祀るノンとは「食べる」、ニュウは「鼓」の意味で、祖先霊魂宿るとされる楓香から作った木鼓たたいて祖先の霊を呼び戻して交流する銅鼓使用することもある。黔東南ミャオ族の間では、楓香から生まれた蝶々のメイパンメイリュウが、樹下水泡恋愛して12の卵を生み、そのうち一つから人間生まれ、他の卵から生まれた龍や水牛兄弟であるという創世神話語られている。その後人類天上雷神争い大洪水起こされ瓢箪乗って兄と妹生き延びる兄と妹結婚して兄妹始祖神話)、その子孫現在のミャオ族になったという。ノンニュウは神話にちなんで、蝶々兄妹始祖祖先死者の霊を祀り、再び東方にあるとされる究極故郷送り返す祭りである。一方明代清代には漢族流入し、「漢化」によって、道教仏教影響受けた地域もある。また、19世紀末からキリスト教布教活動活発化し、貴州省西北部石門坎は1905年からプロテスタント布教拠点となり、ミャオ語文字作られ聖書刊行されて、急速に改宗者広がったちなみにミャオ語聖書日本横浜印刷されている。しかし、中華人民共和国成立1949年以後大躍進文化大革命などを経て宗教弾圧され民間信仰迷信活動として禁止された。宗教祭祀などは、改革開放本格化した1980年代半ば以降復興してきたが、現在は民族観光利用されるなど、文化商品化進んでいる。西欧学者ミャオ族思考を、精霊信仰概念説明しようとしてきたが、進化主義観点に立つ原始宗教ニュアンスがあって低く見下す価値観払拭できないアニミズム概念見直し現地見方による世界観宇宙観提示求められる

※この「宗教と民俗」の解説は、「ミャオ族」の解説の一部です。
「宗教と民俗」を含む「ミャオ族」の記事については、「ミャオ族」の概要を参照ください。

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