東京都立大泉学園高等学校
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東京都立大泉学園高等学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | ![]() |
学区 | 第3学区32グループ(練馬区・中野区・杉並区、グループ合同選抜実施時) |
設立年月日 | 1979年12月 |
閉校年月日 | 2005年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 設立時は学年制、後に単位制に移行 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 13298F |
所在地 | 〒〒178-0061 |
東京都練馬区大泉学園町9-1-1
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東京都立大泉学園高等学校(とうきょうとりつ おおいずみがくえんこうとうがっこう)は、かつて東京都練馬区大泉学園町にあった東京都立高等学校。
概要
2005年3月まで存在した全日制普通科(後に全日制単位制普通科コース制に移行)の都立高校。
現在は旧大泉北高校と共に旧大泉北高校の校地に設立された全日制単位制普通科コース制高校である大泉桜高校に統合され、学籍簿管理を始めとした事務は大泉桜高校で行われている。
沿革
- 1979年(昭和54年)11月 (仮称)大泉学園高等学校として足立新田高校内に開設事務所を設置。
- 1979年(昭和54年)12月 東京都立学校設置条例により設置認可される。
- 1980年(昭和55年)1月 開設事務所を永福高校内に移転。
- 1980年(昭和55年)4月 第1回入学式。昭和55年度は永福高校内の一部を使用する。
- 1981年(昭和56年)4月 練馬区大泉学園町600番地に本校舎が完成し移転。昭和56年度は新設の田柄高校が本校の校舎の一部を使用。
- 1981年(昭和56年)9月 体育館・格技棟・プール竣工。
- 1981年(昭和56年)10月 第1回学園祭開催。
- 1981年(昭和56年)11月 第1回修学旅行実施。
- 1981年(昭和56年)12月 校庭・テニスコート完成。
- 1982年(昭和57年)3月 校歌制定。(作詞:小田切清光・作曲:安達元彦)
- 1982年(昭和57年)6月 開校記念式典挙行。
- 1982年(昭和57年)9月 第1回体育大会開催。
- 1982年(昭和57年)12月 練馬区大泉地区の住居表示実施に伴い所在地の表示が大泉学園町9-1-1となる。
- 1983年(昭和58年)3月 第1回卒業式挙行。
- 1989年(平成元年)11月 開校10周年記念式典挙行。
- 2005年(平成17年)3月 第22回卒業式(最後の卒業式)及び閉校記念式典挙行。
著名な卒業生
- 柳家わさび - 落語家(1999年卒)
- 今泉健一郎 - ゲームプロデューサー (1985年卒)
関連項目
- 東京都高等学校の廃校一覧
- キャンプ・ドレイク 本校の所在地は旧キャンプ・ドレイク南地区の一角である。
参考文献
- 東京都立大泉学園高等学校発行『大泉学園創立10周年記念誌』
大泉学園高校
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秋山 唯(あきやま ゆい) 透や菅子とは同級生で、クラスの学級委員をしている。泣きボクロが特徴で、警察官の父親に憧れ、格闘技にも没頭しその影響でルールを守ることには厳しい。そのため、菅子とはそりが合わなかったが臨海学校を通じて親しくなった。 甥のむーたんを溺愛しており、甥の前だと普段の厳格な性格とは考えられない程にデレデレしてしまう。菅子とは甥に関する話題で意気投合し、「オバ友」として友情が芽生え、菅子と共に圧倒的なパワーでむーたんをいじめたヤンキーたちをぶちのめした。 菅子とはオバ友となった関係から菅子と透の関係を知るが、唯本人は勿論誰にも喋らないと約束している。意外にも菅子を上回る戦闘能力を持っており、記憶喪失になった菅子を一度は倒すものの、記憶を取り戻すまでには至らなかった。 足立 紅子(あだち べにこ) 菅子が中学時代に何度もしつこく喧嘩を挑まれた不良少女。とは言いながら菅子相手に勝ったことは一度もなく、(菅子の恋人だと勘違いした)透を籠絡して菅子に一矢報いようとする。しかし、全ての真相を知られた挙句、菅子に鉄拳制裁を見舞われるところだったが、透が体を張って菅子を制止して何とかことなきを得る。これがきっかけで透に想いを寄せるようになり、その後は透や菅子の通う高校に転校してきたがバレンタインに銅像とも思わせる巨大チョコを作ってきても壊してしまって渡せなかったり、2年生進級時には三上と共に菅子達と違うクラスになったりと何かと空回りし、想いを伝えられずにいる。 表向きは完全無欠なお嬢様風に振る舞っているものの、本性は非常に腹黒いドSで、少しでも気に入らないことがあるとヤンデレのような言動を見せ、さらに0フレームで(オモチャの)ナイフを刺すなど残酷な性格の持ち主で、言葉遣いもかなり悪い。 2年生進級時では、透の気を引くために野球部マネージャーに就任する。本人もあまり乗り気ではないものの、部員達から気に入られている。三上に「最高のマネージャー」と気に入られ、一緒にアメリカに行ってしまい、透に思いを伝えることが出来なくなってしまった。その際、ヘリコプター内で暴れた時にドアを破壊し、それにより菅子が記憶喪失になる元凶になってしまう。その後、日本人少女で初めて、メジャーリーグの監督に就任した。 花沢 ぼたん(はなざわ ぼたん) 菅子と透達の後輩。大きな丸眼鏡が特徴のメガネっ娘で、菅子達からは「ハナちゃん」と呼ばれている。 中学卒業までは神奈川県在住。普段は何もない所で転ぶ程の天然ボケかつドジっ娘だが、中学時代は「黒バラのぼたん」と恐れられる神奈川最強のヤンキーで、千葉最強のヤンキーのメドゥーサと並んで不良少女の悪名を轟かせていた。 中学時代は目付きが悪かったためにあらゆるヤンキー達から目をつけられ、拳法の先生である祖母から教わった護身術で、防衛本能のままに次々と絡んでくるヤンキー達をなぎ倒してきたが、同じ中学の生徒達から化物扱いされて以来、自暴自棄となって喧嘩に明け暮れた結果、いつしか「黒バラのぼたん」と恐れられるようになった過去を持つ。中学卒業後は神奈川を出て、東京にいる祖母の元へ訪れ、その時祖母から譲り受けた眼鏡をかけ、高校では笑顔を絶やさない少女となった。極度のドジっ娘であるのは、眼鏡の度が合っていないのが原因。実は『銀河鉄道999』などの漫画やアニメが好き。 不良少女だった過去を知られないように表面上は笑顔を振る舞っているが、眼鏡を外してしまう(或いは何らかの理由で外れてしまう)と好戦的な性格に豹変し、色気を見せつけて相手を誘惑しながら血祭りに挙げていく。 黒バラのぼたんのモデルは壇蜜。 佐倉 桜子(さくら さくらこ) 菅子の中学時代からの不良少女仲間。中学2年生までは京都府在住、その翌年千葉に引越。自分と対等な強さを持つ相手が見つからず、ずっと孤独の身であった中で菅子とタイマンを行い、人生で初めて負けたことで仲間入りを果たす。 かつては「アシュラ」、「さくら心中」の悪名を持ち、メドゥーサと共に恐れられるヤンキーだった。引退した菅子の行方を追い、マナと共に大泉学園町にやってきたが菅子と相対して一時は圧倒するものの、逆に菅子から諭されて改心し後に菅子達と同じ高校に転校してきた。感情的になった際には関西弁が表に出る。また、転校以前から三上に恋心を抱いている。 普段はおしとやかに笑顔を振る舞う皆のお姉さんな存在だが、メス豚の一面があり、よく(主に三上絡みの妄想で)鼻血を噴き出すことが多い。友達思いな性格で、友達や自分の大切な人を傷付けられるとメドゥーサをも凌ぐ程の怒りを爆発させ、相手を血祭りに挙げていく。 志村 マナ(しむら マナ) 菅子の中学時代からの不良少女仲間で、桜子とは常に行動を共にする少女。 金髪ツインテールに小柄な容姿だが、恐ろしいほどの毒舌家。不良少女時代は肥満体型で「ブタ志村」と呼ばれていたが、喧嘩に明け暮れて減量しスリムになっている。後に桜子と共に改心し、菅子達と同じ高校に転校してきた。
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