地産グループ(竹井家)時代
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「平田紡績」の記事における「地産グループ(竹井家)時代」の解説
竹井家が平田紡績を買収して経営者となり、平田紡績のヒラボウへの社名の変更と、繊維業・紡績業中心から四日市紡績工場跡地への不動産投資・環境事業・食品事業への新たな産業への事業変更が行われた。 平田紡績の7代目社長に竹井博友が就任した。地産グループの総帥で不動産事業が目的で平田紡績を買収した。しかし脱税で東京地検特捜部に脱税容疑で逮捕されて、地産グループが失墜する。8代目社長に竹井博友の次男である竹井博康が就任する。9代目社長に日本興業銀行出身の河田潤が就任した後、10代目社長に竹井博康が再任した。 地産グループは美術館を創設して文化施設を保有している。栃木県那須町の竹井博友が設立した竹井美術館がある。脱税事件の要因に竹井博友の趣味の美術品収集があった。 平田紡績とヒラボウ 東洋観光と地産トーカン 帝国食品とミヒロ食品 ローマイヤ 以上の企業が地産グループの不動産事業や地産グループ内の提携をして以下の事業を推進した。 不動産事業 食品事業 観光事業 漁網事業 これらの事業の業務の委託などなどグループ内の連携や補助があった。 BSLの社風は地産グループのノウハウで築かれた。ナガサキヤは(地産グループが大株主で、地産トーカンの株式を保有していた)など地産グループに平田紡績が編入された。 1991年(平成3年)6月に、旧平田紡績のヒラボウ本社を東京都渋谷区神宮前に移転する。食品・貿易事業本部を廃止する。食品・貿易事業本部の魚介類の購入と販売事業を新東物産株式会社に譲渡する。 1992年(平成4年)に、ビル管理部を新設する。 1992年(平成4年)9月に、情報機材事業本部を新設する。 1995年(平成7年)に、海洋資材事業本部を第1営業本部に改組して、第2営業本部を新設する。同本部に緑化事業部門を新設する。 1997年(平成9年)3月に、第三者割当増資によって資本金が36億5449万円となる。 1997年(平成9年)5月に、食品事業の発展のために施設を建設する投資をした。 パン製造 食肉加工事業 コーヒーの製造事業 以上の食品事業をするための設備投資として、ヒラボウ株式会社の加工センターを宮城県気仙沼市に開設する。 1999年(平成11年)3月に、ヒラボウ本社を東京都渋谷区神南のマリービルに移転する。 1999年(平成11年)4月に、第2営業本部に、環境保全機器部を設置する。 2001年(平成13年)3月に、石巻市事務所を石巻出張所に改組する。 2001年(平成13年)2月に、第三者割当増資によって資本金が59億4349万円となる。さらに、同年3月、第三者割当増資によって資本金が76億849万円となる。 2001年(平成13年)7月に、ヒラボウは、以下の部門を新設した。 株式投資部門 金融投資部門 以上2つの部門の投資事業部を北青山の佐阿徳ビルに開設する。 2001年(平成13年)10月にヒラボウからビーエスエル株式会社と改称する。経営者である竹井博友の逮捕で信用の失墜した地産はバブル崩壊もあり、2002年(平成14年)8月東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請して事実上倒産して旧平田紡績を前身とするヒラボウ株式会社→ビーエスエル株式会社が生き残った(地産グループ)竹井家の会社となる。 2001年(平成13年)8月に、資本金を58億5290万円に減資する(プレミアム減資制度を実行する)。 2001年(平成13年)10月に、第三者割当増資によって、資本金が66億368万円となる 2002年(平成14年)8月に、子会社のビーエスエル・インシュアランス株式会社を設立する。 2003年(平成15年)5月に、食パン製造会社と販売店の株式会社モンタボーを連結子会社化する。 2003年(平成15年)7月に、アディロン株式会社から営業事業の全部門で以下のものを譲り受けた。 資産 社員 株式 事業 事業譲度をしてもらい、連結子会社のADIRON株式会社としてファッション産業のブランドバッグを販売する事業に進出する。 2003年(平成15年)8月に、資本金を30億5000万円に減資する。 2004年(平成16年)1月に、新株予約権の行使により資本金が36億6770万円となる。 2004年(平成16年)2月に、総額10億7000万円のユーロ円貨建転換社債型新株予約権付社債を発行する。 2004年(平成16年)3月に、新株予約権付社債に付された新株予約権を全部行使した事により、資本金が42億270万円となる。 2004年(平成16年)6月に、以下の販売事業をする企業を買収した。 ホログラム販売事業 光輝性立体模様のフィルム販売事業 他眼式立体映像のレンチキュラーの販売事業 舞台照明用カラーフィルター等の販売事業 以下の販売事業で国内最大手の日本コーバン株式会社の全株式を取得する買収をして、完全子会社化する。 2004年(平成16年)7月に、総額20億円の第2回2007年満期ユーロ円貨建転換社債型新株予約権付社債を発行する。 2004年(平成16年)9月に、以下の製造販売事業をする企業を買収した。 球磨焼酎の製造販売 各種類の総合酒造製造販売事業 リキュール製造販売の常楽酒造株式会社(ジー・コミュニケーション)を連結子会社化する。 2004年(平成16年)12月に、防水技術のトップメーカーでウレタン防水建材の国内トップメーカーである株式会社ダイフレックスホールディングスを経営者の竹井による大量の株式交換により完全子会社化する。 2005年(平成17年)1月に、第2回新株予約権の行使により資本金を13億円に増加させる。 2005年(平成17年)3月に、第2回2007年満期ユーロ円貨建転換社債型新株予約権付社債に付された新株予約権の行使により、資本金が62億5989万円となり、発行済株式数が191396664株となる。 2005年(平成17年)4月に、第2回2007年満期ユーロ円貨建転換社債型新株予約権付社債に付された新株予約権の全部行使により、資本金が65億989万円となり、発行済株式総数が193960766株となる。 2005年(平成17年)5月に、総額が50億円の2008年満期ユーロ円貨建転換社債型新株予約権付社債を発行する。 2005年(平成17年)10月に、会社分割を行って分社化して、株式会社ヒラタを新設する。漁網など水産関係の海洋事業部門を分社化する。 2006年(平成18年)10月に、ビーエスエル株式会社からOakキャピタル株式会社と改称する。
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