制作の動機と期間とは? わかりやすく解説

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制作の動機と期間

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 09:47 UTC 版)

アッツ島玉砕」の記事における「制作の動機と期間」の解説

藤田アッツ島玉砕テーマとした絵画2つ制作している。『アッツ島玉砕』と、1943年秋の靖国神社臨時大祭合わせて陸軍美術協会発行した小冊子靖国絵巻』に掲載された『アッツ玉砕 軍神山崎部隊奮戦』である。ともに1943年8月から9月にかけて、ほぼ同時期に描かれたと推定されているが、双方作風には大きな差が見られ、『アッツ玉砕 軍神山崎部隊奮戦』の方は誇張され表現が目立つ、とっくみ合い描いたのような作品である。 これまでアッツ島玉砕』は藤田自主的に制作進め陸軍献納したものと考えられてきた。藤田は『アッツ島玉砕』を陸軍ではなく秋田県在住支援者平野政吉寄贈する予定であったとの話も伝わっている。『アッツ島玉砕』は1943年9月東京都美術館開かれた国民総力決戦美術展」で公開され同月下旬からは北海道各地青森市岩手県盛岡市巡回した藤田東京会場で絵の横に立ったほか、巡回合わせて北海道訪問。その帰途秋田立ち寄って平野三度面会した藤田平野日本の敗戦必至であると語っていた。平野は、画家として藤田弟子入りしていた末弟の弘を戦争失っていたほか、藤田美術館をつくろうと構想しており、弘の慰霊もあって『アッツ島玉砕』を秋田置こうとしていたというのが、村上昌人(平野政吉美術財団理事)の見解である。 しかし1943年8月19日付の木村荘八の手紙の中で、藤田1944年開催予定陸軍美術展出展するために陸軍から依頼されたとしている。陸軍としては戦争画制作実績がある藤田依頼することで、玉砕したアッツ島守備隊顕彰神格化進め国民戦意高揚役立てようしたもの考えられる藤田が『アッツ島玉砕』の制作手掛ける1943年夏には、前述のように宣伝効果によって世論玉砕したアッツ島守備隊神格化していた。そのような世論動向注視しながら、藤田絵画制作進めていくことになる。 藤田現地アッツ島行ったことはない。またアッツ島守備隊員は玉砕しているため、部隊戦闘に関する写真映像資料極めて限定され状況下で制作が行われたものと考えられている。アッツ島についての写真映像資料は、陸軍報道班員アッツ島で約2か月撮影従事した杉山吉良から提供されたとの証言がある。藤田1943年9月札幌訪問時、北海道新聞社で、軍の嘱託としてアッツ島渡った経験がある彫刻家加藤顕清から現地植物気候風土などについて、軍からは突撃戦法について学んだことを語っている。加えて藤田これまで蓄積してきた人物デッサンスタイル画面の構成力を駆使し、更に戦闘描いた西洋美術古典作品参考しながら制作進めた実際制作過程では最初に全体的な構想練り、それから相互関係考えながらそれぞれの事物配置決めると、すぐに各事物詳細な描写取り掛かった前述木村荘八宛てた手紙の中で藤田は、7月22日から外出一切せずにアッツ島での玉砕ソロモン海海戦絵画制作没頭していると書いている。新聞報道の中で藤田は『アッツ島玉砕』を、8月初旬から描き始めアッツ島守備隊月命日にあたる8月29日完成させたと語っている。2作を同時並行制作していることを考慮すると、アッツ島玉砕正味半月程度制作期間完成した考えられている。『アッツ島玉砕制作は、藤田描いた戦争画中でも速いものの一つであった木村の手紙の中で、藤田画室閉じこもり招待もすべて断り映画を見にも行かず描き続けたとしている。また「どうかして私は一生の中、これより描けと言う、すっかりの力を出した画を一枚でもいいからかいて見たい思ってます」とも語っていた。新聞面会謝絶の上斎戒沐浴して毎日12時間から13時間ぶっ通し描き続けた報道している。また別の新聞報道によれば藤田自分描いている『アッツ島玉砕』のあまりの物凄さ我ながら怖くなって線香をあげたと語っており。また完成後、ろうそく明かりのもとで線香をあげてアッツ島守備隊員の冥福祈ったところ、絵の中央部描かれている山崎部隊長や他の兵士らが藤田笑いかけたとの逸話残っている。 藤田が『アッツ島玉砕』を完成させた8月29日山崎保代守備隊長守備隊感状出され山崎守隊長2階特進して中将進級したことが報道される30日新聞では山崎軍神称揚する記事掲載されるこのような中で藤田は、報道陣に絵の完成公開し8月30日には陸軍省に絵の献納手続き済ませ8月31日新聞各紙藤田の『アッツ島玉砕』の完成報じた。そして9月1日から開催された「国民総力決戦美術展」に『アッツ島玉砕』が出品された。これは翌1944年陸軍美術展出展予定であったものを早めたことになる。完成したアッツ島玉砕』は、藤田壁画制作開始した1920年代後半以降取り組んできた大画面における群像表現到着であった

※この「制作の動機と期間」の解説は、「アッツ島玉砕」の解説の一部です。
「制作の動機と期間」を含む「アッツ島玉砕」の記事については、「アッツ島玉砕」の概要を参照ください。

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