制作のはじまり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 03:21 UTC 版)
「海辺の生と死 (映画)」の記事における「制作のはじまり」の解説
監督の越川道夫は20代の頃から島尾夫妻の作品を愛読しており、また過去の仕事から夫婦の息子である島尾伸三、孫に当たるしまおまほとも親交があった。また映画『夏の終り』(2013年)にプロデューサーとして参加していた越川は、主演を務めていた満島ひかりに本作の構想を話し、ミホの役は彼女のものだと伝えていた。一方、満島の所属事務所ユマニテの代表である畠中鈴子は、彼女の「20代最後の主演作品」として何を撮影するか越川と検討しており、その中で『海辺の生と死』の映像化を提案した。満島の側も、越川から原案を聞かされた際に、「奄美大島で島尾ミホさん…私しかいないかな、と(笑)」と考えていたという。この作品は満島にとって『夏の終り』以来4年ぶりの単独主演作品となった。 映画の題名にも用いられた『海辺の生と死』は島尾ミホの短編集であり、越川は「その夜」のエピソードのみを映画に使用したほか、島尾敏雄の『島の果て』、『はまべのうた』、『ロング・ロング・アゴウ』を原作に用い、夫婦の書簡が収められている『幼年期』も参考にしたと回想している。満島と永山の役名である「トエ」「朔中尉」は、敏雄の小説『島の果て』から取られたものである。また越川は、撮影の頃連載されていた梯久美子のミホ伝を、俳優を含め本作のスタッフ全員に読ませて人物造型の助けとした。梯の連載は後に『狂うひと—「死の棘」の妻・島尾ミホ—』として新潮社から出版されたが、この本は本作の参考文献となっているほか、梯は脚本監修も務めた。 撮影にあたり島尾夫妻の作品を読んだ満島は、ふたりの作品から芝居に通じるものを感じ取ったという。また原作となった『海辺の生と死』に対し、満島は次のような感想を持ったと語っている。 「これはマズイ」と思ったことを覚えています。この作品と触れあったら、自分のなかのものが掘り起こされちゃうぞ。役者としてだけじゃなく「満島ひかり」として関わらなければいけない作品だ、これは大変だぞ、と。 — 満島ひかり、『文學界』2017年6月号より、引用元はパンフレット9-11頁
※この「制作のはじまり」の解説は、「海辺の生と死 (映画)」の解説の一部です。
「制作のはじまり」を含む「海辺の生と死 (映画)」の記事については、「海辺の生と死 (映画)」の概要を参照ください。
- 制作のはじまりのページへのリンク