私しかいない
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 23:35 UTC 版)
詳細は「独我論」を参照 独我論と呼ばれる立場には様々なバリエーションがある。単に「自分の感じていることは分かるが、他者の感じていることは分からない」というごく常識的なことを言うだけのものから、最も強い形の立場として「この世界はすべて私が見ている夢のようなものである」という立場まである。このうち最も強い立場を取った場合、それは本稿の問題に対する解答となり得る。つまり他者などそもそもおらず、周囲に見える机や椅子も実在はしていない、ただ私が感じているこの夢としてだけそれらはある、とする。そうすると「私はなぜこの人物か」という形の問いは基本的に解消される事となる。なぜならそもそもこの夢しかなく、この夢だけがあり、それ以外には何もないからである。 永井均に言わせれば、この立場を取った場合、本稿の問いは基本的に存在の問いへと収斂する。つまり「なぜこの夢が無いのではなく、あるのか」と「なぜこの夢はこうした風になっているのか、別様ではないのか」という二つの問いが残され、それが存在の問い「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」と「なぜ世界はこのようになっているのか」という問いと合致する。 本稿の問いに対し独我論という立場を用いて解答する方法は理論的にはよく知られたものではあるが、この立場を本当に正しいものとして真剣に主張している者は(少なくとも有名な哲学者の中には)見られない。
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