伊坂芳太良関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 13:59 UTC 版)
「エドワーズ (企業)」の記事における「伊坂芳太良関連」の解説
エドワーズは伊坂芳太良のイラストレーターとしての仕事がまさに華麗に咲きそろう場となった。エドワーズは1966年から本格的な発注を伊坂に対して始めている。社長の倉橋一郎は、東レからライトパブリシティを紹介され、自社の広告イメージ確立にライトの協力を求めることになる。この東レとエドワーズの共同企画は、二次製品にファッショナブルなイメージを醸成し、市場を活性化しようという計画のもとに生まれた。独特の感覚的なキャンペーンで知名度を高めるという倉橋の方針は、伊坂というキャスティングを得て破竹の勢いで成果を生んだ。銀座四丁目の三愛の丸いビルに、まずファッショナブルなショー・ルームを作ることとなり、土屋耕一のアイデアが中心となっていた。だが、デザイナーとしてアート・ディレクションやレイアウトを担当していた伊坂が「絵を描く」という提案を行い、クライアントの倉橋が「それでは絵に専念してみては」と同意。この2人は時代を見る目を持ち、物創りの衝動を共にしていた。カウンター・カルチュアやビートルズ革命などの言葉で表現されるこの時のファッションはただ新しいという側面だけでは計りきれない。クレージュの宇宙服ルックがパリで発表される一方で、ロンドンの若者は復古調ともいえる古着指向にも浸っていた。エドワーズのネーミングや発想がこの点を衝いていたことに、キャンペーン成功のルーツを見るべきだとされる。 1966年制作のエドワーズ、ショッピングバッグの名作には英文で「1818年のロマンティシズム再見」というコピーが入っている。倉橋は「ペロには最初のポスターを描く時、男というのは酒と女と博打だ、とテーマを打ちだして描いてもらった。続いてショッピングバッグも作った。これが爆発的に当たった。そのあとどんどんノベルティが生まれた。カレンダー、トランプ、シャツ箱、靴箱、ネームカード、ネクタイ入れ、帽子入れ、灰皿、 マッチ、シーツ、カーテン、トレー、 グラス、皿、ゆかた。考えられる限りのものを作った」と述べている。帽子から靴まで、紳士のスタイル画にさらに人物を描きこむという"多重人間”の発想は倉橋、伊坂がイタリアの古い石版画からヒントを得てつくりだしたものだった。伊坂は多忙時に赤坂プリンスホテルに1ヵ月缶詰になって描きまくった。この「ホテルで缶づめ」という仕事のスタイルそのものが珍しかった。浅葉克己(アートディレクター)は、「夏に会社で仕事をしているとよくプリンスホテルから電話が来て、泳ぎにこないかと誘ってくれた。ペロさんの部屋からタダでプールに入れたからだ。僕等がプールに浮かんで夏の雲や女性の水着に目をうばわれている時も、ペロさんのペンや筆は休むことなく動き続けていた。ペロさんのやさしさに甘えさせてもらった」と述べている。造形作家、倉俣史朗との出会いもこの頃で、倉橋は三愛に勤務していた倉俣が独立して手がける最初の仕事としてエドワーズを勧め、伊坂の絵の立体構成を倉俣が担った。壁全体に絵が描かれ、それが洋服箪筒であったり、時計も描きものであるというようなインストレーションが生まれていた。第一作が前出の東レのショー・ルームの構成であった。 浅葉克己(アートディレクター)によると、「ペロさん(伊坂の愛称)の部屋には何故か、西部劇の酒場の扉が付いていて、うっかり前の人が入ったのに気づかずに入って行くと、バーンと帰って来た扉で胸や顔を打たれる。僕がペロさんの部屋に行くことになったのは入社した翌年の1965年で、ペロさんは東レの女性ものを中心に広告を創り、僕は男ものの広告を任された。その頃のペロさんのイラストは漫読のイジワル爺さんが中心で、広告の仕事の方が忙しかった。東レの水着の撮影でハワイに行き、帰りにサンフランシスコに寄って帰って来た。その時ペロさんは『広告の仕事では、自分がどこをやったか彼等に見せても解ってもらえなかった。広告の仕事よりも、イラストレーションの仕事に自分は賭けたい』と言った。丁度そんな時にエドワーズの仕事がぼつぼつ入ってきた」 と伊坂とエドワーズ社の出会いを証言している。 伊坂については1980年代に入って朝日新聞紙上での評価にて「1960年代の高度成長、産業とデザインが両輪となって回転し始めた時代が生んだイラストレーター。1960年代は安保闘争、東海道新幹線開通、東京五輪、ベトナム戦争、中国文化大革命、ビートルズ来日、三億円事件、フーテン族、公害問題と戦後で最も激しく揺れ動いた時代だが、伊坂の一種、病的といわれるタッチは時代を象徴し、1970年代以降を暗示する、というのが、若者を中心とする再評価の理由とされる。紳士服メーカー『エドワーズ』から依頼された作品が最も密度が濃いと云われ、ポスターのほか、ショッピングバック、カレンダー、マッチなどまで手を広げたが、紳士のスタイル面に、さらに人物を書き込むという『多重人間』という独特のイラストを産み出した。」と評された。
※この「伊坂芳太良関連」の解説は、「エドワーズ (企業)」の解説の一部です。
「伊坂芳太良関連」を含む「エドワーズ (企業)」の記事については、「エドワーズ (企業)」の概要を参照ください。
- 伊坂芳太良関連のページへのリンク