人生 (バンド)
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人生(じんせい、ZIN-SÄY!)は、1980年代後半にインディーズで活躍した日本のバンド。電気グルーヴの前身にあたる[4][5][6]。ナゴムレコード所属[7]。1985年3月結成。1989年4月解散。
- ^ “ナゴム再発第3弾!プレ電グル“人生”とナゴム流ポップス集が登場”. CDJournal ニュース. シーディージャーナル. 2024年6月20日閲覧。
- ^ 佐藤誠二朗 (2019年4月8日). “電気グルーヴ~人生とは不思議なもの。僕が垣間見た若き日の彼 | 佐藤誠二朗「グリズリー世代のバック・トゥ・ザ・ストリート」”. よみタイ. 集英社. 2024年6月20日閲覧。
- ^ a b 佐々木敦『増補・決定版ニッポンの音楽』扶桑社、東京都港区、2022年、67-68頁。
- ^ “石野卓球、人生 (ZIN-SAY!)のライヴ写真(1984年)をツイッターで公開”. amass.jp. 2019年5月27日閲覧。
- ^ “INTERVIEW: 石野卓球 - Red Bull Music Academy Japan”. www.redbullmusicacademy.jp. 2019年5月27日閲覧。
- ^ “電気グルーヴPlays 人生(ZIN-SÄY!)とサポートメンバーのまりん。”. www.pinterest.jp. 2019年5月27日閲覧。
- ^ “KERA生誕50周年&ナゴムレコード30周年記念イベントが12月に新宿LOFTにて開催決定”. 電気グルーヴが「電気グルーヴ Plays 人生(ZIN-SÄY!)」名義で登場。. 2019年10月19日閲覧。
- ^ 正確にはK太(後に電気グルーヴの結成メンバー)がスライド係として初ライヴに参加している。
- ^ メジャーデビューアルバム『FLASH PAPA』に収録された「ウィー・アー」では、童謡の引用を行っている。
- ^ この時のメンバーは卓球、畳、ブードゥー田中の3人。畳(瀧)の回想によれば「ある夜中、石野の家で僕と石野と田中って奴と話してたらムラムラしてきたんですよ。それで今から何かやらねぇって事になって。で、考えついたのが、地球儀と靴べらとギターと何か持ってって、それらを体につけて、夜中の静岡駅を歩こうって、そういう事になったんですよ。それが人生ユニット3です。ほんとバカですね(笑)」とのこと(電気グルーヴ+宝島編集部『俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ』JICC出版局、1992年6月、87頁)。後にコンビニエンスストアに場所を移して引き続き路上パフォーマンスを再開した。
- ^ a b c d e f 人生教『人生 ウルトラスーパースター列伝スペシャル~ジャイアン・リサイタル パンフレット』1987年
- ^ 電気グルーヴ+宝島編集部『俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ』JICC出版局、1992年6月、87頁。
- ^ “人生”. kawaisou.files.wordpress.com. 2019年5月27日閲覧。
- ^ 平田順子『ナゴムの話 トンガッチャッタ奴らへの宣戦布告』太田出版、2000年、132頁。
- ^ “人生のファンクラブ「人生教」の会員番号1番”. twitter.com. 2019年5月27日閲覧。
- ^ 平田順子『ナゴムの話 トンガッチャッタ奴らへの宣戦布告』太田出版、2000年、136頁。
- ^ そのことを卓球は「ウチらは漫才ブームでついでに売れたゆーとぴあみたいなもんだよな。」とコメント
- ^ “UNCONTRABLE URGE (1988) 【DEVOカバー】”. www.youtube.com. Virtual ケチャップ 2 (2018年11月7日). 2019年12月31日閲覧。
- ^ “電気グルーヴ Plays 人生 (ZIN-SÄY!) @ 新宿LOFT”. togetter.com. 2019年5月27日閲覧。
- ^ ““Zin-sayは電気グルーヴ、電気グルーヴは人生””. twitter.com (2019年3月24日). 2019年5月27日閲覧。
- ^ “瀧被告に執行猶予付き有罪判決” (日本語). NHK 首都圏 NEWS WEB. NHK首都圏放送センター (2019年6月18日). 2019年6月18日閲覧。
- ^ “ピエール瀧被告に有罪判決 裁判官が異例の“コンビ愛”説諭” (日本語). 東スポWeb. 東京スポーツ新聞社 (2019年6月18日). 2019年6月18日閲覧。
- ^ 濵田理央 (2019年6月18日). “「人生をどうしたいのか」裁判官はピエール瀧被告に問いかけた(東京地裁の判決公判)” (日本語). 朝日新聞社. ハフポスト日本版. 2019年6月18日閲覧。
- ^ “人生ってバンド名考えたの俺だかんな”. twitter.com (2019年6月18日). 2019年6月18日閲覧。
- ^ 電気グルーヴ+宝島編集部『俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ』1992年、JICC出版局、28頁。
- ^ 石野卓球選曲 お昼に聞きたい面白い曲(2012年6月14日放送・TBSラジオ『たまむすび』にて)
- ^ a b c d e f 電気グルーヴ+宝島編集部『俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ』1992年、JICC出版局、156頁所載「電気グルーヴ物語・資料編/人生~電気グルーヴ参加メンバーチャート」より。
- ^ a b c 平田順子『ナゴムの話 トンガッチャッタ奴らへの宣戦布告』太田出版、2000年、133頁。
- ^ a b 平田順子『ナゴムの話 トンガッチャッタ奴らへの宣戦布告』太田出版、2000年、134頁。
- ^ 似た事例としてオルタナティヴ・ロックバンド「ガセネタ」「TACO」の山崎春美が1982年9月1日に「自殺未遂ギグ」という自傷や流血を伴うライヴを決行した後、着用していた血染めのTシャツを『宝島』の応募企画で限定1名にプレゼントしたということがあった。
- ^ 平田順子『ナゴムの話 トンガッチャッタ奴らへの宣戦布告』太田出版、2000年、138頁。
- ^ a b 平田順子『ナゴムの話 トンガッチャッタ奴らへの宣戦布告』太田出版、2000年、130頁。
- ^ 石野卓球のツイート 2019年4月18日
- ^ “録音したのはたぶん三歳の時だったはず”. twitter.com (2019年5月2日). 2019年6月18日閲覧。
- ^ 石野卓球のツイート 2019年5月7日
- ^ 電気グルーヴ+宝島編集部『俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ』1992年、JICC出版局、45頁。
- ^ 石野卓球のツイート 2017年6月14日
- ^ 電気グルーヴ+宝島編集部『俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ』1992年、JICC出版局、44頁。
- ^ 電気グルーヴ+宝島編集部『俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ』1992年、JICC出版局、83頁。
- ^ a b 1987年9月26日、新宿JAMで1日限りのユニット「ゲロゲリ人生狂人團」(山之内純太郎+石野卓球+バカ社長)を結成したことがある。
- ^ a b c d 電気グルーヴ+宝島編集部『俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ』1992年、JICC出版局、154-155頁所載「電気グルーヴ物語・資料編/人生~電気グルーヴ完全ディスコグラフィ ※オムニバス、参加含む」より。
- ^ 電気グルーヴ、リキッド11周年祝し「フェスでやらない曲」連発 SPICE 2015年7月17日付
- ^ 人生の人気凋落が明らかになったライヴ。この時の対バンは死ね死ね団とザ・ゲロゲリゲゲゲ。
- ^ 「FASCINATION」で「P-TWO(いかすぜ彼女)」としてリメイク。
- ^ ビデオのタイトルに付けられた12月6日は間違い。
- 1 人生 (バンド)とは
- 2 人生 (バンド)の概要
- 3 歴史
- 4 解散後
- 5 メンバー
- 6 作品
- 7 ツアー・ライヴタイトル
「人生 (バンド)」の例文・使い方・用例・文例
- 人生を向上させる方法は常にある
- 技芸の道は長く人生は短し
- その町はその芸術家の人生を連想させるもので満ちている
- 彼は人生の成熟期に達した
- 彼女は酒におぼれた人生を送った
- 人生の戦い
- 人生は旅である
- 彼女の荒れた手は労多き人生を物語っていた
- 彼は試験に落ちたが,結局それがよかったのだ.人生で何をすべきかに気づいたのだから
- 人生の幸も不幸も受けいれる
- 彼女は人生の成功者たる運命を持っていた
- 人生って本当はいいもんだ
- はかない人生
- 彼女が私の人生を明るくしてくれた
- 私たちはお互いの人生の新たな出来事を語り合いながら一晩中過ごした
- 今日は間違いなく私の人生で最も幸せな日だ
- 華やかな人生を送る
- 人生を航海にたとえるのは当を得ていると思います
- 人生行路
- 人生の苦杯をなめる
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