九州特急凋落の時代と「富士」
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「富士 (列車)」の記事における「九州特急凋落の時代と「富士」」の解説
1976年(昭和51年)10月1日:このときのダイヤ改正により使用車両を24系24形客車から24系25形客車に置き換え。「はやぶさ」「出雲」とともに東京発着の定期寝台特急初の2段B寝台車を投入。同時に新形の1人用個室A寝台、「オロネ25形車両」も連結される。「食堂車」は引き続きオシ24形を使用。 1978年(昭和53年)2月1日:20系で運行されていた「あさかぜ」1・4号(いわゆる博多「あさかぜ」)の24系25形化に伴い食堂車を捻出するため、食堂車が基本編成から大分回転の付属編成に入れ替えられた。なお同様の措置は共通運用だった「はやぶさ」「出雲」でも行われた。 → 当時の編成図はこちらを参照されたい。当時の国鉄では需要減が続いていた在来線の食堂車を新製しない方針であったため、運行時間がほぼ丸一日となる「富士」「はやぶさ」の食堂車を途中駅折り返しとすることで終着駅での滞泊をなくし、車両基地であった品川客車区に戻る日を一日ずつ早めることで、博多「あさかぜ」用に必要車両数を確保した。 この年、東京 - 下関間の牽引機関車をEF65形の500番台(P形)から1000番台7次車に変更。 1979年(昭和54年)9月25日 :日豊本線全線電化により宮崎 - 西鹿児島間の牽引機であるDF50形ディーゼル機関車による牽引を廃止。ED76による牽引は終点の西鹿児島駅まで延長された。 1980年(昭和55年)10月1日:ダイヤ改正で、利用者の減少により運行区間を宮崎駅までに短縮。これにより、日本最長距離特急の座を「はやぶさ」に譲る。 宮崎 - 西鹿児島間廃止時の停車駅 宮崎駅 - 都城駅 - 霧島神宮駅 - 隼人駅 - 鹿児島駅 - 西鹿児島駅 1984年(昭和59年)2月1日:廃止されていた九州内のヘッドマーク取り付けが復活。 10月19日:西明石駅を通過中の上り「富士」が脱線してホームに激突、32名が負傷するいわゆる西明石駅列車脱線事故が発生。 1985年(昭和60年)3月14日:東京 - 下関間の牽引機をEF66形に変更。また、これを機にヘッドマークを円形から戦前の「富士」同様の山型のものに変更した。なおヘッドマークは当初「葛飾北斎の赤富士」を模したデザインも検討され、運行を担当する下関運転所内で実際に製作まで行われたがこちらは本採用には至らなかった。 1986年(昭和61年)3月3日:オハネ24形3両から改造された4人用B個室寝台車(オハネ24形700番台)「カルテット」の連結を開始。 11月1日:ダイヤ改正より客車の受持ちを品川客車区から鹿児島運転所(基本編成)、熊本客貨車区(付属編成)へ変更。再び「はやぶさ」と共通編成となり、オハネ14形2両から改造された(オハ24形700番台)「ロビーカー」を連結開始。下関~大分間はEF81形400番台の牽引となった。 1989年(平成元年)3月11日:オハネ25形100番台から改造された1人用B個室寝台車「ソロ」(オハネ25形1000番台)の連結を開始。編成図はこちらを参照されたい。 1990年(平成2年)3月10日:運行区間を南宮崎駅まで1駅延長。 1991年(平成3年)3月16日:東日本旅客鉄道(JR東日本)東京車掌区が「成田エクスプレス」運行開始に伴う人員確保のため「富士」からの乗務を降り、JR九州大分車掌区(現・大分鉄道事業部大分車掌センター)が全区間を担当することになった。 1993年(平成5年)3月18日:食堂車が営業中止となり、売店営業のみに変更。また、博多地区の通勤輸送改善のため、下り列車の東京 - 小倉間のダイヤが「はやぶさ」と差し替えられて「富士」の南宮崎駅到着が1時間9分繰り上がった。 1997年(平成9年)11月29日:運行区間を大分駅までに短縮。また、食堂車オシ24形の連結終了。最終的な24系25形のみで運行された編成図はこちらを参照されたい。終点大分駅到着後、編成を2分割にする作業を実施していた。これは、折返しの清掃等を行う大分運転所がフル編成で入区できないためであり、上りの東京行きでも大分駅でフル編成にする作業を実施していた。 大分 - 南宮崎間廃止時の停車駅 大分駅 - 臼杵駅 - 津久見駅 - 佐伯駅 - 延岡駅 - 日向市駅 - 高鍋駅 - 宮崎駅 - 南宮崎駅 下り列車が大分駅で「にちりん」3号を、上り列車が中津駅で「にちりん」20号を先行させるダイヤとなっていた。
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