九州水力電気時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 04:40 UTC 版)
1916年(大正5年)3月、豊後電気鉄道は当時福岡・大分両県で積極的な事業統合を展開していた九州水力電気株式会社という電力会社に合併された。同社は福岡市内の路面電車(旧博多電気軌道線)も経営していたことから、これと区別するため旧豊後電気鉄道線は「大分電鉄線」とされた。 九州水力電気の時代になると再び路線延伸が進んだ。まず大分市側で延伸され、1917年(大正8年)7月7日付で外堀(外濠)停留場まで開業し、さらに1919年(大正8年)2月24日付で大分駅前停留場まで開業して大分駅前への乗り入れを果たした。1922年(大正11年)3月7日には、警察署前停留場とかんたん停留場間に、海岸寄り(新川停留場)経由の新線が開業する。堀川経由の旧線はしばらく残されたが、道路幅が狭く危険であるとして沿線町内会の反対を押し切り1925年(大正14年)12月に営業を停止している。一方別府市側では、1922年11月25日付で別府停留場が移設され、大阪行きの船が発着する別府港桟橋まで延長された。 こうした設備投資の一方で、九州水力電気全体で見ると福岡の電鉄線を含む鉄道事業が占める収益面での重要度は低く、なおかつ大分電鉄線の経営は不振であった。このため1926年(大正15年)12月に電気事業以外の兼営部門の整理を決定した。
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