主な協力者たち
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DASH村を実際に訪れ、村づくりに協力した主要な人物たち。 池田末治(いけだ すえじ、1933年10月2日 - 2002年10月23日) 大工棟梁。村役場リフォームを指導する。 林一(はやし はじめ、1947年3月12日 - ) 左官。数少ない土壁造りの達人として、壁塗りを指導する。 三瓶明雄(さんぺい あきお、1929年11月27日 - 2014年6月6日) メンバーが村に入った直後、畑を作ろうにも全く工程がわからず、農業の知見を得ようと訪れたJA(農業協同組合)から紹介された農業家。近隣一帯を開墾した人物。畑作・稲作から農業土木などあらゆる知識に通じ、さらにはパワーショベルの運転免許を所持しており、一方で魚捌きを得意とするなど多彩な能力で村を導く。初期の頃のDASH村の大まかな方向性や知識などの情報は、彼によって構築され、伝授されたと行っても良い。 TOKIOにとっては父親以上祖父未満ほどの年齢差はあるものの、まさに「少し歳の離れた、頼りになる兄貴分」である。存命であった頃は最も出演回数が多い協力人であり、出演を始めてからは一貫してレギュラー並みの登場回数を誇り、24時間テレビで彼へ向けて感謝の特集が組まれた事もある程である。本人曰く、九州天草の農耕神に風貌がそっくりらしい。 口癖は「まだまだ」。番組に出演し始めて少ししてから妻を亡くすも、番組では一切そのようなことを想像させなかった(番組サイト内の裏話で初めて明かされた)。「DASH村からワシが伝えたかったこと 三瓶明雄の知恵」(ISBN 978-4-8203-9902-5)の著者。 晩年は東日本大震災発生の影響で浪江町が帰還困難区域に指定されたこともあり浪江町を離れざるを得なくなり、同じ福島県内のアパートに居住していた。しかし、それ以降もTOKIOメンバーとの交流は続いており、番組にも時おり出演し、知識や経験を伝授していた。また、彼の没後にも番組内で時間を多めに割いて特集が組まれた。 三瓶金光(さんぺい きんこう、1931年3月28日 - ) 村の炭焼きに協力。釜づくり、里山の手入れから炭俵の作り方まで一貫して指導する。メンバーが役場修復用に古材を集めた際に提供者としても登場している。 三瓶孝子(さんぺい たかこ、1937年1月31日 - ) 漬物づくりを指導。近隣の即売所でメンバーが試食し、最も気に入ったたくあんを作った人物で、近所でも評判の漬物名人。 島崎英雄(しまざき ひでお、1943年6月20日 - ) 職藝学院で建築を教える棟梁。山口に大工の基礎を教育。日本家屋再建では村を訪れ、実地で指導する。 遠藤ましこ(えんどう ましこ、1922年11月23日 - ) 長瀬に杉皮で作る和紙を教える。 三瓶鉄雄(さんぺい てつお、1964年6月27日 - 東日本大震災以前?) 露天風呂の石垣づくりに協力した石の達人。三瓶明雄の息子。 中山貞之、寺田哲、山下裕 職藝学院の助手。炭小屋造りを指導するため島崎英雄棟梁により村へ派遣される。 片桐朝美 東京農業大学の学生。企画「一万円で家財道具はそろうか」に出演。村の稲作にアイガモ農法を導入する。 マリサ・アネリ・ゴンサレス・オトヤバレラ(1979年5月25日 - ) 東京農業大学の留学生。ペルー出身で、村での綿花作りに協力。その後も村で活動を行う。 エムティ・シャハリア・アクタール(1978年10月6日 - ) バングラデシュ出身。村でのバナナ栽培にアドバイスするほか、他の農作物育成や食べ物の調理などにも協力する。 長橋明孝(ながはし あきたか、1939年7月18日 - ) 浪江町在住の大堀焼職人。DASH村で陶器を作るための技術を指導する。 これ以外にも協力者は多数いる。
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