中部山岳国立公園
「登山の極致は山と同化するに在り、山と同化するとは自我を脱却して、造化が掌中の純なる坩堝(るつぼ)に跳り入るに在り」——小島烏水(うすい)が『日本山水論』にこう記したのは明治38年。近代登山の黎明期に身を置く人の、胸の高鳴りが響いてくるような一節である。
山との同化は、今も多くの岳人の理想であろうが、この境地に到達するには、自己の内面と自然双方の条件が満たされることが必要である。そして、その条件を満たした自然をいつまでも保持し、提供することが、まさに国立公園の使命の一つなのだ。
日本最高の山岳地帯
日本アルプスとは、南・北アルプスと中央アルプスを含めた3つの山域の総称である。いずれも日本の中央部を横断するフォッサ・マグナ(大地溝)の西を限る大断層線(糸静線)の、すぐ西に接している。
この公園はそのうちの北アルプス、つまり飛騨山脈主要部を区域とする。標高3,000m前後の、壮年期の急峻な高峰が連なる。切り立った岩壁が多いのは、急激な隆起を意味している。日本で最も高い山脈であり、日本を代表する山岳公園である。
南北に走る山稜は、北部では2列、南部では3列に分かれている。北部は、東に豊かな高山植物と大雪渓を持つ白馬(しろうま)岳、双耳峰(そうじほう)が目立つ鹿島槍ヶ岳、針ノ木岳などからなる後(うしろ)立山連峰、西には広大な立山カルデラを中心に、岩の殿堂の剱(つるぎ)岳、雄大な山容の薬師岳などの高峰が連なり、雲の平、五色ヶ原などの広大な台地がある。この2列の稜線は三俣蓮華(みつまたれんげ)岳で出合い、さらに南に延びて穂先を突き上げる槍ヶ岳に至る。
槍ヶ岳から南は稜線が3分する。東に分かれた稜線は燕(つばくろ)岳、常念(じょうねん)岳などの山列で、花崗岩の白い岩肌と槍・穂高の展望で人気が高い。西に延びた稜線は笠ヶ岳をつくり、中央の主稜は、剱とともに精鋭クライマーを魅了する岩壁を立てる穂高山群で、この山脈の最高点(奥穂高岳・3,190m)に達するが、ここから高度を下げ、活火山焼岳(やけだけ)に至る。さらに南方に離れて乗鞍(のりくら)岳があり、公園の南端となっている。
高山に見られる氷河時代の痕跡
[ライチョウ]
これらの山稜の間には、黒部川、高瀬川、梓(あずさ)川、蒲田川などの急流が流れ、特に黒部川は、途中ダムで途切れるが、上廊下、下廊下という、日本の谷を代表する深く長大な峡谷をつくっている。また、梓川は横尾から大正池までの間は勾配がゆるく広い河床を持つ。ここに開けた盆地状の平坦地が上高地(かみこうち)で、穂高の岩稜とケショウヤナギの河畔林と清流がつくり上げた自然は、迫力と整った繊細な美しさを併せ持ち、日本の自然景観中の白眉といってよいものである。
この公園の高山には、氷河時代の痕跡が少なくない。立山、薬師、槍・穂高周辺などのカール(圏谷:小規模な氷河がつくった円形の浅い谷)や、より大きな氷河が削った槍沢などのU字谷が代表的である。
生物では、ハイマツや多種類の高山植物、ライチョウや高山チョウなど、高山に特有の生物をはじめ、イヌワシやクマタカ、ツキノワグマやカモシカなど、生態系の上位にある大型の鳥類や哺乳類が、生態系の豊かさを示している。
山岳のうち、立山は標高2,400mの室堂(むろどう)まで、乗鞍岳は2,700mの畳平(たたみだいら)まで車道があり、高山帯の自然に容易に接することができる。また、黒部ダムと立山を結ぶアルペンルート、乗鞍、白馬などの山麓の高原地帯、宇奈月(うなづき)、白骨(しらほね)、平湯(ひらゆ)、新穂高など豊富な温泉、山麓や山腹にある各地のスキー場にも、多くの利用者がある。
また、マイカー規制が初めて導入されたのは上高地であり、現在上高地のほか、立山、乗鞍岳でもそれぞれ独自の方法で行われている。
マイカー規制
マイカーが普及した昭和40年代、上高地などでは駐車場からあふれた車両が河原や森林内へ乗り入れ、植生への影響や、排ガスによる樹木の衰弱をはじめ、交通渋滞や来訪者の快適性の低下を招いた。
そのため、昭和50年夏に中ノ湯〜上高地間の県道でバス、タクシー及び業務用の許可車両以外の一般車の通行が禁止された。その成功を受けて、以後、マイカー規制は各地に広がった。上高地では現在規制が通年行われ、平成16年からは夏期の観光バス規制も始まっている。
関連リンク
- 中部山岳国立公園 (環境省ホームページ)
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