三国志平話の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 03:04 UTC 版)
「三国志演義の成立史」の記事における「三国志平話の成立」の解説
詳細は「三国志平話」を参照 元代に成立した『三国志平話』(以下、『平話』)は、講談(説三分)の種本を文章化し挿絵を加えたもので、『演義』成立過程において、非常に重要な役割を果たした作品である。現存最古のテキストは、至治年間(1321年 - 1323年)に福建省建安の書肆虞氏が刊行した『至治新刊全相平話三国志』である(日本の国立公文書館(内閣文庫)が所蔵)。「全相」とは全ページの上段に場面説明の絵が挿入されていることを表し、「平話」とは評話、すなわち長篇の歴史物語を指す語である。ページの上部三分の一程度に挿絵が描かれ、下部の三分の二が文章という体裁をとる。ほぼ同内容の『至元新刊全相三分事略』という書も存在し(日本の天理図書館が所蔵)、同版異刻と思われるが、どちらが早く刊行されたかについては諸説ある。この『三分事略』の方は全69葉のうち8葉が失われており、ここでは至治平話について記載する。 これまでの紀伝体史書や『世説新語』・説三分の逸話群が、人物ごとにバラバラで相互のつながりがほとんど無かったのに対し、『平話』は、後漢末から三国の興亡に至る顛末を一連のストーリーにまとめ上げた最初の作品であり、『演義』の成立史の上で非常に重要な位置を占める。『平話』の特徴は 冒頭と結末に冥界裁判の話があり、これが全体のテーマとして底流にある。 史実の事件と起きた順序が違うことが多い(意図的に組み替えられたというよりは、きちんと整理されていない)。 魔術や超人が活躍するなど全体的に荒唐無稽であり、特に張飛が大活躍する場面が多い。 各場面の記述は比較的簡素・粗雑であり、人名・地名などに当て字や誤字が多い。 呉に関する記述が非常に少なく、赤壁の戦いと荊州争奪以外はほとんど触れられず、孫堅や孫策に至ってはほとんど登場しない。 関羽の死亡前後までの記述は多いが、その後の筋はかなり簡略化され、孔明の死後についてはほとんど触れられない。 晋による三国統一で終了するのではなく、漢の皇室の子孫という設定の劉淵(史実では匈奴出身で劉禅後継を称した五胡十六国の前趙(自称は"漢")を建国した)が晋を滅ぼして、漢王劉淵の天下で話が終わる。 などが挙げられ、文学的な価値こそ低いが、民衆世界の語り物の雰囲気をよく伝えている。 『平話』では張飛の大活躍が目立ち、特に上巻・中巻では主人公と言っても過言ではない。文中、劉備が「徳公」「玄徳」、関羽が「関公」と呼ばれるのに対し、張飛のみ「飛」と名で呼ばれ、親近感を与えている。序盤の三傑邂逅の場面も、張飛が関羽に話しかけることからストーリーが始まっており、彼が主人公格であることを暗示している(同じ場面が『演義』では劉備視点に変わる)。 なお冒頭と結末の冥界裁判とは、以下のようなストーリーである。 後漢の初代光武帝の時代、司馬仲相という書生が酒に酔って史書で読んだ始皇帝を罵倒していたところ、突如現れた役人が仲相を冥界へと連れ去り、裁判を行わせる。原告は漢王朝の建国の功臣ながら殺害された韓信・彭越・英布の3人で、被告は彼らを殺した漢の高祖(劉邦)とその妃の呂后であった。仲相は立て板に水のごとく裁判を結審させ、天帝はそれに基づいて韓信を曹操に、彭越を劉備に、英布を孫権に転生させ、劉邦・呂后を献帝と伏皇后(曹操に殺された皇妃)にして、曹操に復讐させる。裁判を仕切った司馬仲相は司馬懿に転生させ、三国を統一させた。 すなわち物語の全体構図を復讐劇に仕立てたもので、仏教的な因果応報思想の影響が強い。この冥界裁判の話は元代にはよく知られていたようで、似たような話が同じ平話シリーズである『新編五代史平話』の中の「梁史平話」上巻にも現れている。そこでは英布の代わりに陳豨が登場して劉備に転生し、彭越が孫権に転生している。また呂后や司馬仲相が登場していないことから、こちらの方がより原型の話に近いと見られる。物語を収束させる人物として、三国を統一した司馬氏にあたるキャラクターが要求されたが、高祖の時代には該当する武将がいないため、新たに司馬仲相という人物が創作されたと思われる。 このように『平話』は、小説としては荒削りであったものの、漢末の混乱から三国の攻防に至る全体のストーリーラインはすでに『演義』と概ね同様だった。『西遊記』説話の古い内容を伝える『大唐三蔵取経詩話』や、『水滸伝』の元となった『大宋宣和遺事』が、現行の小説ではほぼ話の原型を留めていないのに対し、『平話』から『演義』に受け継がれている要素は非常に多く、元代における『平話』の成立が、『演義』形成過程の一画期となったことは間違いない。
※この「三国志平話の成立」の解説は、「三国志演義の成立史」の解説の一部です。
「三国志平話の成立」を含む「三国志演義の成立史」の記事については、「三国志演義の成立史」の概要を参照ください。
- 三国志平話の成立のページへのリンク